このページを読む者に永遠の呪いあれ

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コメントを書きこむ前に、こちらの記事に必ず目を通してください 「処刑宣告

鬼頭と虚淵の狂信者たち

以前に虚淵ツイッター

今でも所謂「アンチ」という生き様の虚しさ悲しさについては、キミらそんな人生で本当に満足なのかと嘆かわしくなるばかりである。巨人軍アンチを親に持つ息子が、読売新聞に足を向けて寝られなくなるような──そんな運命の悪戯だって、あるんだぜ?

antimadoka @ ウィキ - トップページ

と、発言していたらしいが、そもそもアンチの存在を許せない人間がもの創りに携わるべきではない。
発言の通り、こいつはただ自分を持ち上げマンセーしてくれる人間が欲しいだけで、創作に賭ける情熱など一つまみも持ち合わせていない。
だから、キャラクターの吐くセリフは、奴の自己陶酔した思想であり、そうでないキャラクターは不自然な形で不幸に陥れる。故に、キャラクターが人形でしかなく、退屈なのだ。

しかも虚淵はほとんど小説を読んだことがないらしいが、『Fate/zero』の文体を見る限りでは、なるほど確かにその通りだろう。素人にありがちな陳腐で大げさな言い回し、本人どや顔こっちは大爆笑。
そもそも本谷有希子然り、小説を読んでいない人間が小説を書くなと思う。小説は読まないと上手くならないジャンルだ。読んでないで書いてる奴の文章は一発で見抜ける。

話を戻すと、人は他人が何を考えているかは分からなくても、どうされたら嫌か、どうすれば喜んでくれるか、そうした相手の気持ちを推し量ることのできる----思いやり---を本来兼ね備えている生き物だ。
しかし、世の中にはそうした「思いやり」の精神が最初から欠落している人間がいる。虚淵玄鬼頭莫宏、そしてその信者たちがいい例だ。
虚淵や鬼頭の批判記事を書けば、必ずと言っていいほど信者が特攻してくる。こんな弱小ブログ相手に顔を真っ赤にしている。

恐らく、作者自身がアンチの存在を想像できない故に、反論する奴は駆逐しろ! とばかりに信者どもはそれに準ずる。これはファシズムであり、言論統制だ。
無能でボンクラな虚淵・鬼頭信者が都条例反対だので、あーだこーだ石原がー石原がーと言っても、お前らこそ石原も真っ青な戦時下の言論統制主義者だ、としか思わない。

自分は好きなものを否定されたりdisられても、正直痛くも痒くもない。「そういう人もいる」くらいにしか思わない。要するに「人それぞれ」で終了する。意見には賛同できなくとも反対の意見を持っている人がいることは事実として受け入れる。
それは、個人の趣味嗜好が「人それぞれ」であるように、自分が好きなものが100%他人と共有できはしないと思っているからだ。

しかし同時に、好きな作品に対する絶対的な信頼と自信を持っているからこそ、アンチを見てもスルーできる。
人は誰しも、己の信念に自信がなくなると疑心暗鬼になり、受け入れない相手を攻撃する性質がある。
つまり、虚淵や鬼頭の信者がアンチを攻撃するのは、自分の信念に自信がないからだ。そして、アンチを攻撃することでしか自己肯定ができない。
これは臆病な犬と同じだ。自信がない故に、常に迷いながら不安定に揺らいでいる。だから、自分と少しでも意見の違う者がいれば、脅かされると思いこみ、ヒステリックに噛み付いてくるのだ。

作品のよさを伝えたいなら、地道に理論展開し証明すればいい。
他を攻撃し、他をdisったところで、作品の評価がよくなることなど一片もない。
「AはいいけどBはだめ」というのを見かけるが、作品や作家を「好き」になることは相対的なものではなく、比較対象など必要としない「絶対的」なものではないのか?
しかし、狂信者たちはこうした自己矛盾にまったく無自覚なのだ。

例えば自分は鬼頭莫宏の『ぼくらの』が大嫌いだけれど、アニメ版はそれなりによかったと思っている。

猫の恩返し / ギブリーズ episode2 [DVD]

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ジブリ作品としては『猫の恩返し』は驚くほど良作だったし、アニメ放送時に更新されていた森田氏のブログもコメント欄を開放していて、勇気のある人だと思っていた。アニメの原作改変は的確だったと思う部分も、原作レイプだとわめくバカがブログに沸いていた。

原作のナカマの母の職業は売春だが、アニメ版では母親はナカマを出産と同時に売春をやめ、現在はバーのママになっている、といった変更も、信者たちは気が狂ったみたいに暴れていた。
しかし、暴れていた連中に聞きたいが、子供がいるのに売春している親を果たして心から尊敬できるか? 確かに職業に貴賎はない。とは言っても、これはそれ以前の問題ではないのか。その上で森田氏の判断は賢明だったと思う。

そして例の、森田氏による「原作が好きじゃない」発言で一気に炎上した。

私が原作を好きか嫌いかを意識するのは、原作を手にした最初だけで、仕事を引き受けた以降はそれはまったく関係ないです。

負けました - 森田宏幸のブログ

ここで暴れた信者どもは万死に値する。
あのな、どこの世界に監督は必ず原作を好きじゃなくちゃいけない、なんて掟があるんだよ。監督だって職業だし、仕事でやってる。
当然、好きじゃない仕事だって受けなければならない。そのことについて、言うか言わないかを取りざたするとしたら、森田氏は一番やっかいな連中を相手にしてしまっただけで、本来だったらこうした発言の自由はもっとあっていいと思っている。そんなことも分からない厨房は原作大好きな二次同人誌で満足して、出てくるな。

猫の恩返し』のような清清しい作品を撮った森田氏が『ぼくらの』みたいな似非鬱話が嫌いなのは当然だろう。
というのは優れたクリエイターたちはみな、鬼頭や虚淵のような似非不幸の幻覚に惑わされた時期を乗り越え、今の境地に達しているのだ。だから、鬼頭や虚淵の言わんとしていることが、いかに悪趣味で幼稚で厨二臭いかちゃんと分かっている。

以前に書いた記事< 貴様こそ、爆発しろ - このページを読む者に永遠の呪いあれ >に補足すると小池一夫夏目房之介と同じで基本、批判をしない人だ。
まどマギ』についても、ああいう言い方を選んだだけで、彼の作るキャラクターや持論と照らしあわせば『まどマギ』を実は暗に否定していると理解するのは容易い。
例えば、小池氏が「『まどか☆マギカ』は何がなんだか分からない。謎が謎を呼び、ラストまでいってしまう。」と言う発言も、イミフのまま進行し、視聴者置いてけぼりで終了した『エヴァンゲリオン』の方が遥かに『まどマギ』の謎を上回るわけで、実のところ『まどマギ』に謎な部分など全くなかった。
恐らく小池氏が言いたかったのは「物語が進行しても着地点が見えてこない」ことを指摘したかったのだ。そしてラストのむちゃぶりな世界改変(笑)で「今までのことは全否定ですかww」と驚いただけで、こんな支離滅裂なストーリー作りは確かに「見たことがない」という意味では斬新(笑)だっただけだ。

原作disをあげれば、押井守はその筆頭で、「『うる星やつら』を頼まれ原作を読んだが好きになれなかった」と言っていた。「これって単に諸星がラムちゃんのことを『好き』と認めないゲームを楽しんでいるだけでしょ」。と、実に押井らしい発言をしていた。

スカイ・クロラ』にしても、押井は原作を読んだ上で「この原作のままなら映画にできません」と3回断ったと言っていた。もともとあれは日テレのゴリ押しで押井に持ち込まれた企画だった。故に押井の水素は僕女ではないし、水素が函南に殺してと頼み函南は殺してしまうところも、映画では大幅に改変された。
森博嗣自身は「押井さんにアニメ化してもらえるだけで感激です><」と言っていたので、騒がれなかっただけだ。

ぼくらの~alternative 1 (1) (ガガガ文庫)

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しかし、『ぼくらの』では、ノベライズを担当した大樹連司と言う大バカ野郎が、あろうことか小説の中でレイプ犯の名前を森田氏の名前にしたらしい。もはや、重罪人は大樹とそれを許した編集者だ。
これを知ったとき、心の底から思いました。「頼むから死んでください」。

大樹は『ぼくらの』に感銘を受け(笑)作家になったらしいが、その捻じ曲がった思考回路を正すためにも、1回死んで生まれ変わって人生やり直してください。しかし、これをそのまま出版した小学館のうんこぶりはひどい。自らうんこ出版社だと暴露しているじゃないか。

で、笑うのが『まどマギ』の元ネタではないかと評判のニトプラが数年前に出したエロゲー『スマガ』のノベライズを大樹がやっていることだ。おいおい。どういう繋がりだよ(笑)。

スマガ 1 (ガガガ文庫)

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  • 魔法少女というか魔女っ娘ものでバトルもの
    • スマガでは魔法少女に当たるのは魔女(エトワール)という呼称で、敵は悪魔(ゾディアック)という怪物だが、系統的には同じであることは一目瞭然。
  • 誰かが誰かの死を回避する為に繰り返すループもの。
    • ほむらがまどかの死を回避する為に、ループするのと同じように、スマガの主人公であるうんこマンはヒロインであるスピカ(後にガーネット、ミラと続くが)を救う為に人生をやり直す。
  • 繰り返しにも制限(ルールがある)
    • ほむらのはちょい分かりにくかったかもしれないが、約1ヶ月しか後戻りできない。盾の砂が約1ヶ月分で、これの分だけ過去に戻れる。(砂が落ちきるまで間だと時をとめられるという付加効果あり)一方、うんこマンの方はもうちょいシビアだが、寝る、気絶する等する前、意識がある間しか遡れない。(ひとまずの結末を迎えられたら最初からやり直せるが)
  • 戦う者たちが、戦うべき敵へと変化する。
    • 魔法少女が魔女になるように、スマガでは魔女たちはゾディアックになる。ちょっと経過は違うが、設定は同じだよね。
  • 主人公が神になる
    • どっちかというと、デモンベインの九朗&アルの旧神verのほうが近いものがあるが、スマガの主人公、うんこマンも高次元にシフトされて神になるのね。QBと同じような台詞を神(幼女)か神(眉毛犬)が言ってたと思う。
  • 少女の願い、祈り、そして絶望がキーワード
    • 原器に選ばれた1人の少女の価値観が世界を構築し、彼女の絶望の為に悪魔(ゾディアック)に勝てないという設定は、結構毛色は違うがメッセージとしては同種だと思う。
  • ワルプルギスの夜と鉄槌の日(マレウス)
    • うん、これはもうまんまと言うか。無理ー絶対無理ーな絶望の日が来ますよと。

ありがとう、まどか☆マギカ: みぎ@致命的欠陥記録

まあ、とにかく鬼頭と虚淵が出会ったら気があうことは間違いない。信者の質もそっくりだし。
思えばQBはコエムシに似てるしな。