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江口寿史のツイッター騒動と漫画家のツイッター利用について思うこと

漫画家共の村社会

年末は気が狂うほど忙しすぎて、最早この話題は風化してしまっていると思うのだけれど、今さらながら一応書いておく。
そもそも、漫画家や作家・クリエーター・他有名人が通り名でツイッターをすることには懐疑的に眺めていた。


というのは、最初にツイッターに登録したのは一昨年の3月頃のことだ。
登録したての頃は、漫画家のアカウントを探しては読むのが楽しかった。しかし、野次馬根性から、呟きよりも専らフォローしてるのが誰かを観察しては交友関係をnrnrしていた。
漫画家のアカウントを辿りながら、すべからく思ったのは、彼らがフォローしているのは知人友人、他は同業者・同業界の人種に限られていることだった。
恐らくの推論だが、同業者だからという、ただそれだけの理由でフォローしていることが大半で、実際は相手の作品すら読んだことがないのではないだろうか、と思われるようなつながりがいたるところで散見できた。


フォローする場合、相手のことを知っていなければフォローしないし、誰もがスパムアカウントが数増やし目的でフォローしてきても嬉しくないように、好きでもないのに、興味もないのに、「ただ」同業者という理由だけでフォローされたとして、そんなことに何の喜びも見出せるはずがない。


3桁の同業者をフォロー()している漫画家は、その3桁の漫画家たちの全ての作品が好きで、ちゃんとチェックしている熱心な読者なのか。いや、絶対に読んでいない作家も混じっている。
なのに、表ではさも親しそうに馴れ合う。同業者からのリプには、ほいほい応じるのに、一般読者からのリプには無反応・ガン無視を決め込む。
何かがおかしくないか。歪んでないか。
この気持ち悪い閉塞した村社会をどう表現したらいいだろう!

江口寿史の炎上騒動

で、そんな中、江口寿史の騒動があった。

< 江口寿史が「花沢健吾」「浅野いにお」の背景を批判 - Togetter >
< 江口寿史の背景批判 その後まとめ - Togetter >


結論から言うと、この論争に参加した漫画家は全員死ねばいいのに、と思う。
まず、江口の与太話の中身のなさはこの際、問わない。それに便乗した漫画家どもの薄気味の悪さ。どの業界を探してもいないような性格の歪みが滲みでている。


江口の主張は言ってみれば老人の戯言で、本当にくだらない。
技術の勝利、それの何が悪い。
こんなことはベンヤミンが20世紀初頭に『複製技術時代の芸術』でさんざ指摘していたことであり、それを21世紀になっても、嘆くことの愚かさに本人は全然気づいていない。

複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)


背景に写真を使用しているかいないか、手描きかそうかそうじゃないかで、漫画の面白さは決められるわけがない。

手法で評価することの無意味さ

例えば、映画で話そう。全て手描きのパヤオの『崖の上のポニョ』とCGを使った押井守の『スカイ・クロラ』。
どっちがいいかを評価する時、手描きの『ポニョ』の方が上ですよ、なんてったって、手描きですから! というバカがいるだろうか。


逆にCG使いまくりの『スカイ・クロラ』はCG使っているから劣っている、という評価が通用すると思っているのだろうか。
そんなところで作品の評価は決定されない。
技術があきらかに蛇足で使いこなせていない場合は、そういう評価はありだろう。


例えば新海誠の『ほしのこえ』の戦闘シーンを見て爆笑したわけだが、それは一人で作ったというCGのちゃちさに笑ったのであり、ガンダムも顔負けの重量感ある戦闘シーンであれば、しっかりと評価していただろう。


今のCGの進化・技術革新の恩恵を受けまくっているし、そのおかげで人に見せられる漫画を描けるようになった。もし、CG技術がなければ多分、漫画を描くのをやめていたと思う。
そういう人は今、ものすごく増えているだろうし、多い。CGがあったからこそ、才能を開花することができた作家は腐るほどいる。
CGが向いているか否かは個々の作家の相性であり、どちらを選択したからと言って他人がとやかく言うのは筋違いだ。

アナログ時代の権威主義

ただ思うに、江口が活躍していた時代は漫画はアナログでしか描くことができなかった。
アナログで描いたことがある人なら分かると思うが、漫画の道具は一見さんには非常に使いづらく、いじわるな道具しかない。描いていくことで道具に慣れ、使いこなせるようになる。その時点で立派な特殊技能なのだ。
つまり、漫画を描ける=道具を使える=俺SUGEEEEEE、という特権階級意識に未だに縋りついているようにしか見えない。


要するに、その工程をすっとばし、CGできれいな原稿を作っている若手にギギギとなっているだけなのだ。
逆にCGでしか表現できない自分はアナログで漫画を描いている作家全員に、コンプレックスを持っている。かつてアナログのせいで挫折し、一度は漫画を諦めた人間として。


アナログで描けること、それ自体が尊い技能であることは認める。認めているが故に、アナログ描きの漫画家がアナログの技術を持たないデジタル漫画家にどや顔するのは、間違っていると思うのだ。

機能する浅野と花沢の背景

江口に話を戻すと、彼が例に挙げた花沢健吾浅野いにおの漫画における背景に、違和感を感じたことはない。
作品の世界観を構築する上で、あの背景は活きていると思うし、技術に頼って内容がおろそかになっている風にも感じない。

見もしないで批判することの愚かさ

しかし、江口が愚かなのは、彼らの作品をしっかりと通読しない上で批判してしまったことだ。批判やアンチをするなら、嫌でもその作品に目を通さなくては発言をする権利を持てない。毎度ムカムカしながらも虚淵の作品は見ているし、見ている上で批判している。それは最低限のマナーだ。


つまり、江口のうっかり発言はイコール、漫画家同士の上っ面だけの内輪による発言の延長線だったということだ。読んでもいない、名前も聞いたことない、しかし漫画家だという、だったら仲間ですね、というだけの不気味な連帯意識の上に成り立つ、馴れ合い社会から、発言をしたら、大事になったということに過ぎない。


確かに江口は名の知れた漫画家だが、彼が漫画界に残した偉業は「原稿は落としても許される」というどうしようもないものであり、引退寸前の老害にへりくだることなど微塵もないと思うのだが…。ぶっちゃけ一番まともな対応は、双方とも江口をガン無視することだったと思う。

炎上の傍らでの馴れ合い

で、その後も別の場所で他の漫画家たちがうだうだと管を巻いているのを見かけたが、これがまたキモい。
例えば、きづきあきらカサハラテツローのやりとり。

きづき:漫画描くのってそんなに制約の多い作業なのか…なんかもうお腹いっぱいだよ。店主の、自分の店の味のこだわりを聞きながら食べるのは料理が美味しくなるけど、よその店の悪口聞かされて食べるのはメシマズです。


カサハラ:まあ、「偉そうに上からあれもダメこれもダメとか言ってるバカ」に見えちゃってんのかなー。


きづき:@KTetsuro 残念っていうのが私の発言についてだったら、ちょっと誤解がありますよ! 私はカサハラさんのマンガがすごく好きなんで、その否定されてる意見に猛反対です。そしてそれと同時に、先生のお好きでない背景のないマンガやトレスのマンガにもいいものはあるよと思ってるだけなんです。


カサハラ:@kidukira 困ったなあ…。きづきさんはボクに「残念」って言ってないと思いますが。(汗)


きづき:@KTetsuro 私カサハラさんへの最後のツイートで残念っていう言葉入れちゃったんで、それでなんですよ。違うならいいんです。カサハラさんの漫画大好きって言いたかっただけなんで。


カサハラ:@kidukira あと、読みたい漫画は好きなだけ読みますし、読みたくない漫画はメチャクチャ薦められてもスミマセン、読まないと思います。特に既成の「背景トーン」を貼付けたみたいな絵がてんこもりな漫画は、本当に某氏じゃないけど読むのも描くのも「死ぬほど嫌」なんです。ごめんなさい。


江口寿史先生の「マンガの背景」論と、マンガ家たちの反応。 - Togetter

どうして、反論するのに前置きで相手を褒めて認めて、立たせてやらねばならないのか。そうしないと角が立つから? だったら、捨て垢でも作って、ガチンコバトルしろ。ああそうか、こいつら一般読者の意見は総スルーなんだよな。だから、漫画家のアカウントでないと発言できないのか。


しかし、それにしても気持ちが悪い。互いに褒めあって、でもね…というやり取りはどう見ても中年主婦の井戸端会議のノリだ。


蛇足だけど、きづきあきらの『うそパラ』はいまや変な方向にいってしまいトンデモ漫画になってしまったこととヒロインのバカっぷりがあまりにひどくて、絶賛株急降下中。
アニメの『Fate/Zero』の監督のあおきえいが『うそパラ』面白い、と推薦文を書いていたけど、『放浪息子』がよかったので期待してたが『Fate/Zero』の構成・絵コンテのダメダメっぷりに無能な監督だってことがよくわかった。
それと、ついでに書いておくが『Fate/Zero』を制作しているufotableを持ち上げる奴は決まってディーン版の『Fate/stay night』をけなしますが、個人的に押井の『天使のたまご』を制作したスタジオディーンをけなすのはやめてくれませんか。

まさしく正論

最後に大手出版社の請け負いをしている銀杏社のQ&Aにあった的を得た回答を載せておく。

Q:よく、最近の新人漫画家さんはブログを立ち上げていますけど、ブログをやっていたほうが人気が出るんでしょうか。少女漫画ではブログ効果とかよく聞きますが、少年漫画もそうなんでしょうか。


A:確かにブログやツイッターで生のコメントを発信することで、読者が作者を身近に感じ親しみを抱くという効果はあります。こまめな更新で作品に関連した詳細な情報をフォローすることも、雑誌の公式サイトではなかなかできないことです。読者からの書き込みができる形式のブログだと、作者とファンの交流の場ともなります。つまり、ファンクラブに準じた役割をブログは担っているわけです。
しかし一方で、簡単に更新ができるブログはその場の勢いに任せた感情的な発言も容易にしてしまうので、炎上したり名誉毀損に問われたりというトラブルを招いたりすることもあります。プロの漫画家ともなればもはや一個人ではなく、その発言に知名度に応じた影響力があることを自覚し、責任を持たなければなりません。軽々な発言をすると作品まで色眼鏡で見られてしまうこともあります。
また、ブログの中で私的な写真をアップしたり近況めいた文章を公開していれば、自分のプライベートな情報を知らず知らずのうちに流出しているリスクがあることを意識しておきましょう。例えば自宅近辺の写真をアップしたりしていると、住所が特定される危険性があります。それに、週刊連載をしたり複数の連載を持ったりして仕事量が増えてくると、ブログの更新自体が負担になってくることもあります。
情報発信やファンとの交流をしていく手段の一つとして魅力的なものではありますが、メリットとデメリットを考慮した上でブログを立ち上げるかどうかを決めてください。そして、ブログに書き込む際には、アップする前に少し時間をおいて、自分の名前で発信するのに適切な内容かどうかをもう一度検討してからにしましょう。


新人マンガ家相談室/質問「プロ漫画家はブログをやっていた方が人気がでるのでしょうか?」