このページを読む者に永遠の呪いあれ

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コメントを書きこむ前に、こちらの記事に必ず目を通してください 「処刑宣告

コメント欄の認証制について

多忙につき、コメント欄が放置状態で荒れる一方なので、新規のコメントを書き込む場合、はてなユーザーもしくはIDの取得及び管理人の承認がない限り、書き込みできない状態に設定させていただきました。今までのコメントの閲覧は可能です。

ROMの方からのご指摘により、凍結という措置を提案されたのですが、それより段階的にゆるい処置をとらせていただくことにしました。

コメレスを放置する処置については、逃げてるわけではなく、単純に前よりも時間が取れない環境だからです。

それと、こちらにはコメントをしてる方のIPはすべて通知されています。名前欄を変えても同一人物であることはすぐに判明するようになっています。

次の更新時に解除する予定ですが、更新時期も今のところ未定です。
以上、ご理解いただくようお願いします。

コメントレスについて

今までのブログの運営方針としては、どんなクズコメでも全てのコメントにレスを返すことをモットーにしてたのですが、体調の問題なども含め、現在そこまで手が回らない状態になっています。

その為、一定期間(半年)経過したものに関しては、申し訳ありませんがスルーという形で、レスはいたしません。半年以上経過してもレスがつかなかった場合は、以降も「なし」だと判断してください。

期間内のコメントへのレスについても、今までのように全部にはいたしません。気が向いたものにだけレスをします。
よって、今後しばらくは全てのコメントにレスはせず、基本、放置の方向に持っていくと思ってください。

ただし、全てのコメントには目を通していますので、罵詈雑言を書き込んでくださる方も含め管理人には全部届いております。

コメントへのレスはせずにブログの更新だけ行うことがあると思いますが、レスをするためにやってるブログではないため、その点のみご了承ください。

『マタイ伝』

わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。
平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
わたしは敵対させるために来たからである。
人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。
こうして、自分の家族の者が敵となる。
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。
わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。

10:34-10:39

コメントについて

ブログは再開したけど、暇になったわけではないので、コメントのレスについては相変わらず放置しているわけだが、気になったものだけ先行してランダムにレスを返していこうと思っている。
その前にコメ主に対し、全体的に言えることを先に書いておこうと思う。

最初に断っておくが、おいらは実生活において怒ったことがない。思春期の頃までは、親と怒鳴りあいのケンカをしてた記憶があるが、20歳を過ぎた頃から他人とケンカをした記憶が一切ない。
相手が怒る場面は何度かあったが、こちらが声をあらげたり、言い合いをしたり、押し問答をしたりといったことは一度もない。
手を出さないのは、そういう状態になった相手をまともにとりあうのが面倒なだけ。

ケンカをしない理由は、ケンカをしている時の自分が好きではないことと、無謀で冷静さを欠いた議論や言い争いをしたくないだけです。

さて前段はこの程度にして、コメントについて。

一番よくあるのが、揚げ足取りをするためだけのような煽りコメントなわけだが、何を言われようと所詮、人様の陣地で喚いてる以上、動物園にいる檻の中からウンコ投げてくるゴリラと一緒で、おいらは鼻くそでもほじりながら、投げられるウンコをかわすだけという簡単なお仕事に過ぎない。

不愉快にさせたいのか、説得したいのか、黙らせたいのか、どういう意図でやっているのかはよく分からないけど、ぶっちゃけ言うと全部無駄。この程度の言説で黙らせようとしてるのなら、考えが甘すぎる。この程度で黙るようなら、このブログはとっくの昔に閉鎖してます。もう9年以上やっているんですけどねえ。

議論したいなら、自分でも同じようなブログを作るか、持っているのであれば晒すなりして、URLでも貼ってってくれれば読みに行きますよ。読むだけで感想を書くかは分からないですが。
明らかに無責任な書き逃げ的な誹謗中傷や煽りを、相手にするほど若くもないし、暇じゃないです。こんなブログにうだうだ文句書くだけ、時間の無駄だと言って差し上げたい。
一介のど素人のブログに張り付いて、ある程度の時間かけて文章書き込むことより、他にやらなきゃいけないことが人生にはいっぱいあるはずなんだけどな、普通の人間だったら。
何故なら、この手のコメントにいちいち動揺なんてしないし、「ふーん( ´_ゝ`)」と思って読んでいるだけで、何かしらの精神的打撃を与えたいのであれば、何の効果も成果もあげてないと、心の底から言って差し上げたい。

次に「そこまで文句つけるのなら、何がいいのか言ってみろ」的意見だが、対案がなければ批判するなっていうのは、ガキの頃までだったら許される意見。

小説を書かない奴は小説を批判するな、漫画を描かない奴は漫画を批判するな、映画を撮らない奴が映画の批判をするな的な議論の不毛さに気づいていないのも最大の致命傷なわけだけど、そうでない奴でも語る権利や自由があるからこそ、言論の自由もまたあるのです。

そして「何がいいのか」といった答えを求めないでください。教師でもあるまいし、どうして答えまで教えるような世話を焼かなくてはいけないのか。

このブログは「答え」を出すためにあるわけではない。問題をふっかけることはあっても、答えまですべて導き出すような親切心は持ち合わせてません。
疑問を抱えたなら、自分の頭を使って、足を使って探してください。そうして考えがまとまったらブログにでも投稿して、URLを送りつけてくれれば見ますよ、という話です。

読者は本当のバカかもしれない

「読者はアッパッパーだからバカにも分かる話を描け」と編集者から言われたという話をよく耳にするが、実際に過去、自分も同じことを言われた経験がある。
その時は「読者をバカにすんな」と息巻いたわけだが、最近では本当にバカかもしれない…と思うようになってきた。

これは漫画における「読解力のスキル」についての話だ。
例えばどんな漫画にも「オチ」がないと納得しない人を見かける(関西人と言うわけではないようだ)。
ストーリーを放り投げた感じで終わるラストを全く理解できない人が確かに存在する。
さらに言えばモノローグがなければ、キャラの表情だけでは心情がわからないと言い出す始末だ。

経験主義的なことだけは言いたくないが、つげ義春でもいい、あの辺一帯の昔の『ガロ』系作家の作品をこういう人が読んでも、全然よさが理解できないんじゃないかと思うと、同じ漫画読者として戦慄してしまうのだ。

そういう人たちに共通して言えるのは確実に読書経験が浅いということ。
「経験」とは「量」の問題じゃなく「質」の問題だ。そういう人と話をすれば分かるが、恐ろしいほど過去の名作を知らないし触れてない。
漫画に限った話じゃなく、有名な映画や小説や音楽も知らない。とにかく何も知らない。しかし何故か上から目線。←ここ大事

昨今「無知・無学であることを自慢する」人たちが、ものすごく増えているんじゃないかって気がする。特に若い世代ほど多い気がするのだ。

数年前、岡田斗司夫の「オタク・イズ・デッド」論争というのがあった。

かつてSFを知るためには何百というSF小説を読まなければならなかったが、スターウォーズがビジュアルでその魅力を伝えてしまってからは、本を何百冊も読んだり、原語版に当たったり、という苦労は誰もしない。同じSFのセンスオブワンダーであっても、一度絵という判りやすいものが出来ると、それ以降は堅い小説のような難しいものは受け入れられないし、その流れは止めようがない。ファンは増えたけど、SFファン以前とは違う人々になってしまった。

同じようにオタク文化においては「萌え」という言葉がオタクを判りやすく伝え、仲間は増えたけど同じようにオタクは以前とは違う人々になってしまった。オタク文化を守ろうと思ったら在日文化のようにその文化を規律で固めていくしかないが、もはやそんなことは不可能なのだ。

オタクは死んだのである。

オタクは死にました - kasindouの○記

しかし壇上で「オタクは死にました。みなさんの言葉を広く伝える評論家もこれからはいません……」と語っているうちに、感極まって壇上で言葉を何度も詰まらせる。

オタクは死にました - kasindouの○記

彼がここで泣きながら訴えたのは、かつて「オタク」と呼ばれた人々は、知識や情報量の多さで分析にまで至れたし、何に価値があり何に価値がないのか判断ができた。
しかし、今の若い世代は溢れる情報に翻弄されてるだけで、一時の流行に身を委ね、その場しのぎの快楽主義者に成り果てた。
こうした事態を嘆いての岡田氏の発言だったわけだが、数年たった今、とてもよく分かるのだ。

評価の高い作品と言っても二種類ある。
評論家たちの間で評価が高い場合と、口コミだけで評価が高い場合と。この二つは全く違うわけだが、ここで指摘してる人々は恐らく口コミしか信じない人種であり、専門家の文章など微塵も目を通さないし耳を貸さない。

評論家といってもピンキリなので意見を聞くに値しない人も当然いる。しかし同時に鋭い指摘ができる人もいる。そうしたプロの意見をガン無視して、あーだこーだと趣味だけで作品を語ってる人が今、非常に多いのだ。

漫画という表現を一つとってもその可能性は無限であり、いまだ未知数な部分は限りなく多い。
若い世代の人たちの漫画に対する文法、様式、コマの配置、流れやテンポといった、そうした諸々の表現に対する読みの浅さがとにかく気になって仕方ないのだ。

自分は気になった作品については、ネットや時には書物も利用して評価や情報を調べることが多いわけだが、そうして得た知識を先ほどの経験の浅い人たちに言うと必ず、「そんな風にいろいろと調べるから嫌な部分まで知って頭でっかちになるのだ」と真顔で言う。

どうやら「無知」であることの方が、「純粋」に作品を理解できると思い込んでいるようだ。