押井守/スカイ・クロラ
- 出版社/メーカー: バップ
- 発売日: 2009/02/25
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押井は今作で遂に本当の意味での叙情の人になった。大島渚がそうであったように。
今作で押井は『イノセンス』で実践した常人には理解しがたかった「都市へのフェティシズム」への執着をやめ、キャラクターにスポットをあてた映画を撮ることに成功しています。いや、『イノセンス』にあったようなフェティッシュな表現はなくなったかと問われれば答えは否です。例えば空の描写、散香や空中戦の描写などにそれらを垣間見ることはできます。
しかし、それらは『イノセンス』の都市描写にあったような見るものを困惑させるようなことは決してなく、どこまでも映画の一部として溶け合っています。
こうした押井の風景に対する執着については以前のエントリーにも書きました。そこでおいらは
こうした都市へのフェティシズムだけを見ると、まるで押井守はキャラクターたちに何の思い入れもないかのように見えるかもしれません。<略>
それらの風景は当然ながら、登場人物たちの為に用意されたものです。登場人物たちが動き回る場所だから、リアリズムにこだわり、最上の舞台を用意しているのです。
そのために、絵作りが極端にフェティッシュなものへと変貌していく。<略>
オイラは押井の女の描き方が上手いとか下手とか、作品の魅力はそこだけで語れるものでは決してないし、つか、ぶっちゃけいえば、その辺の作家よりは遥かにうまい。それについては後日詳しく書きます。
<押井守論〜誤解される叙情派>へつづく。
と書きました。
この記事を書いたのは2006年ですが、その続編に当たる文章をずいぶんと長い間書かずにいました。しかし、書かずとも押井はまさにおいらが次に言いたかったことをそっくりそのまま『スカイ・クロラ』で体現してくれたのです。
『スカイ・クロラ』は今までの押井作品と明らかに一線を画します。それはまず「内」と「外」の消失です。押井と言えば、『ビューティフル・ドリーマー』然り、『イノセンス』然り、「現実」と「虚構」を扱った作品が多かった。しかし、今作で世界は平面になった。
そうして平面になった世界でどこまでも孤独な登場人物たちが決して心の交わらないコミュニケーションをとっています。この映画を見た知人は彼らの会話のやり取りに違和感を感じて仕方がなかったそうです。「こいつら言葉のキャッチボールが全然できていないじゃないか」と。
余談ですが、前回エントリーで書いた『時をかける少女』は、登場人物たちがキャッチボールをしているシーンで始まり、会話のキャッチボールは常に成功している。それが皮肉にも、この映画を叙情から程遠いものにしてしまっていました。
では、『スカイ・クロラ』にある会話のズレについて引用してみたいと思います。参考にさせていただいたブログは『カナリアの雑記 - livedoor Blog(ブログ)』さんです。いやあ、まったくこういうことをしてくださる方がいるのは本当にありがたいことです。
なお、引用の際にズレの部分を分かりやすくするため、一部太字で表現しています。
土岐野 :どうだった?
優一 :何が?
土岐野 :ミートパイ
優一 :おいしかったよ なんだか食べたことがあるような味だった
土岐野達:笑い声
優一 :(英語)ここが格納庫です
バスガイド:(英語)写真を希望される方はいらっしゃいますか
中年女性A:(英語)こんにちは
優一 :(英語)こんにちは
中年女性A:(英語)うちは家族であなたたちの会社を応援しているんですよ
優一 :(英語)ありがとうございます
中年女性A:(英語)あれはあなたの飛行機?
優一 :(英語)ええ
中年女性B:(英語)どんな感じ?
優一 :(英語)何がですか?
中年女性B:(英語)空を飛んでいるときのことです
優一 :(英語)どんな感じって言われても…
キャスター:(英語)墜落した機体は第202管区ロストック社の第502スコードロン所属”散香B”と発表されましたが詳細は不明のままです
同社広報部はこの件に関する質問には応じられないと…
マスター :呼ぶかい?
優一 :誰を?
マスター :いや、つまり…
優一 :ああ いや これを食べたらすぐ戻るから
優一 :カンナミです
水素 :どこにいる?
優一 :ドライブイン
水素 :ああ悪い 立て込んでる 切るよ
優一 :そっちに向かってる フォーチュンが3機
水素 :2機だ
優一 :違う 3機だ
水素 :見たの?
優一 :はい
水素 :こっちまであとどのくらい?
優一 :おそらく5分はかからない
水素 :それなら一息つける カンナミは戻れないな
優一 :僕の飛行機は?
水素 :あたしが乗る
優一 :お願いします
マスター :戻るのかい?
優一 :今戻っても飛行機は残ってないけど
ユリ :気をつけてね
優一 :何に?
バセット:鳴き声
優一 :全部無事に飛べた?
笹倉 :カンナミの機体が一番大変だった 今スピナー無しで飛んでる
燃料入れてる暇もなかったしもうそろそろガス欠かも
優一 :クサナギさんが乗ってる?
笹倉 :そう
クスミ :ナオフミだ ナオフミーッ!
笹倉 :あのおネェちゃんたち今のうちに出した方がいいな クサナギ氏が帰ってきたら怒鳴られるよ
優一 :誰が怒鳴られるの?
笹倉 :ユーイチに許可をもらったって言ってたけど
クスミ :ユーイチ!無事だって分かったからもう帰るね バイバーイ ユーイチ!
優一:ティーチャーを撃墜すれば何かが変わる?
水素:え?
優一:運命とか限界みたいなものが
水素:そうね でも彼は誰にも墜とせない
優一:なぜ?
水素:私たちどこのだれと戦っていると思う?
優一:さあ 考えたこともない
水素:殺し合いをしてるのに?
三ツ矢:ササクラさん
笹倉 :え?
三ツ矢:クサナギさんとはどれくらい?
笹倉 :さあ…もう8年になるかな
三ツ矢:じゃあエースだった頃の彼女を知ってるんだ?
笹倉 :まあね
三ツ矢:それが今はあんなでいいわけ?
笹倉 :あんなとは?
三ツ矢:あの人破綻してる
笹倉 :私には彼女が仕事を正常に処理しているように見えるけど
三ツ矢:あの人は子供を産んだ
笹倉 :だから?
三ツ矢:子供が子供を産んだんだよ?
笹倉 :だから?
三ツ矢:分からない?
笹倉 :分からない
三ツ矢:みんなそうやって分からないふりをして 知らないふりをして 会社だって子供のことだって知ってるはずなのに
笹倉 :クサナギはね!…彼女はとびきりのエースだったから 生き延びて仲間たちより少しだけ長く生きて
そのぶんだけ多くを見て考えて 自分や他人の運命に干渉することを覚えたのよ
三ツ矢:愛する人を殺すことも それも干渉なの?
笹倉 :分からない?
三ツ矢:分からない!
三ツ矢:その前は?フライト時間はどのくらい?戦闘機のパイロットになって何年?
優一 :そういう話をしに来たわけ?
三ツ矢:あなたはこの基地で一番信頼できる だから聞きたいの あなたたちがどうやって自分の気持ちを整理しているのか
同じことを繰り返す現在と過去の記憶をどんなふうにしてつないでいるのか
想像だけどたぶんとても忘れっぽくなって 夢を見ているようなぼんやりした感情が精神を守っているはず
昨日のことも先月のことも去年のことも全然区別がない 同じように思える 違うかしら?
優一 :僕のことだったらだいたいその通りだよ 小さいときからずっとこんなふうだった ぼんやりして起きているのか眠ってるのか分からないってよく言われた
三ツ矢:自分でもよく分からない? キルドレって私たちの会社の商品名だったって知ってた?遺伝子制御剤の開発の途中であなたたちが突然生まれてその新薬につけられるはずだった名前があなたたちを表すようになった
優一 :君は違うって言うんだね?
三ツ矢:あなたたちキルドレは年を取らない 永遠に生き続ける 最初は誰もそれを知らなかった 知っていても信じなかった
でもだんだん噂が広がっていく 戦死しない限り死なない人間がいるって
分からない 私もキルドレなのかしら? 今あなたに話したこともどこで聞いたのか何で読んだのか本当のことなのか
どことなく何もかも断片的な感じがするの 自分が経験したことだっていう確信がない 手応えが全然ないの
私だけがキルドレじゃないなんて そんな都合のいい話ってないよね?
いつから私は飛行機に乗ってる? いつから人を殺しているのかしら?
いったいどうして いつ どこから こうなってしまったのか 毎晩思うんだ
思い出せない 思い出せない 考えても考えても子供のときのことが決まったシーン以外何も思い出せないの
優一 :子供と遊ぶの好きそうだったけど?
三ツ矢:前の基地でボランティアの人と知り合って場所を提供してお手伝いをしていただけ 子供たちを見ているのは好き 自分も子供のときがあったらいいなって思うわ
だってもしかして私はこのまま生まれてきたのかもしれないじゃない?成長しなかったのかもしれないと思うだけでもう地面に足がつかないみたいな…
そう思わない?あなた不安にならない?
クサナギさんがジンロウって人を撃ったのは もしかしたらもう終わらせてあげようとしたんじゃないかって そう思うの でも彼は死ななかった
優一 :死ななかった?
三ツ矢:あなたになったから もう一度違う人間として再生して新しい記憶を覚えさせてあなたが作られた あなたはジンロウの生まれ変わり
そうしないと彼の持っていたパイロットとしてのノウハウが失われるから 兵器としての性能が失われるから
優一 :どうしてみんなそれに気づかない?
三ツ矢:気づかないふりをしているだけ あなたが気づくまで知らないふりをしているだけ
優一 :面白い発想だね コーヒーはどう?
三ツ矢:おいしかったわ ありがとう
優一 :僕も 面白い話だった ありがとう
『スカイ・クロラ』のキャラクターたちは常に一方通行な会話をしています。それがキャラクターたちをいっそう孤独に仕立てあげているのです。こうした孤独なキャラクターたちは『イノセンス』『機動警察パトレイバー2 the Movie』にも登場しましたが、『スカイ・クロラ』ではより顕著になっています。
では何故、押井は孤独な人物たちを描きたがるのでしょうか。答えは簡単です。それがわれわれの現実だからです。
われわれは常に孤独で、他人の考えを読めても、通じあえるわけではない。心は絶対に交わらないのです。それが人間のどうにもならない現実であり、それがすなわち叙情なのです。叙情すなわちそれは同時に極度のリアリストでもあることを証明します。押井がリアリストであることは、前述した押井守論でも書きましたが、大島渚やドストエフスキーがそうであったように、叙情的な作家はリアリストでもあるのです。
次に映画の中身に触れてみましょう。物語終盤、函南は自分が何度も生を与えられ繰り返し、生き続けていることに気がつきます。しかし、彼はこう思うのです。
いつも通る道でも 違う所を踏んで歩くことができる
いつも通る道だからって 景色は同じじゃない
それだけでは いけないのか
それだけのことだから いけないのか
現実のわれわれはこの終わりなき日常を、理由を見出せないまま、生き続けなくてはならない宿命を背負っています。竹熊健太郎氏は
人間はみんな「終わり無き日常」の迷路を彷徨っていて、迷路に気がついたところでそこから脱出するでもなく、何か事件があったように見えたとしても結局何も変わらない。
それってリアルだけど、はなはだ辛気くさい話で、押井守は鬱映画の巨匠だという思いを再確認しました。
とこの映画を評しましたが、彼にとっては大島渚もイーストウッドも「欝映画の巨匠」になるでしょう。リアリストの映画は概ね、そういう風に思われがちです。
たとえ、永遠に続く生を生き続けることになっても、昨日と今日は違う。木々のざわめきや、風のにおい、隣にいる誰かのぬくもり。ささやかだけれど、確かに感じることのできるものを信じて生きていく。そうやって見れば、僕らが生きているこの世界は、そう捨てたものじゃない。僕はこの映画を通して今を生きる若者たちに、声高に叫ぶ空虚な正義や、紋切り型の励ましではなく、静かだけれど確かな真実の希望を伝えたいのです。
水素が函南に自分を殺せと命じた時、函南は「君は生きろ 何かを変えられるまで」と言い、彼女を抱きしめます。その時既に、函南は、ティーチャーとの戦いを、その死を、予感していたのかもしれません。
そして、函南がティーチャーに撃墜されるシーンはまさに圧巻であり、映画的体験と呼ぶにふさわしい場面です。押井は、撃墜される場面を容赦なく、残酷なまでに克明に描き出します。
CGはたぶんすごいんでしょうけど「スィーヅィーすげー!」と思ったのは俺の場合『スターシップ・トゥルーパーズ』まででしたよ。それ以降、どんなにすごい画面見ても「どうせCGでしょ」って思って終わりなことが多いです。
この記述を読んで「ああ、やっぱりこの人はこういう風にしか感じられないんだな」と思いました。函南が撃墜されるシーンを見ても、「「スィーヅィーすげー!」と思ったのは俺の場合『スターシップ・トゥルーパーズ』まででしたよ」と言ってしまうあたり、内容しか見ていない人だなあと改めて思いました。
函南の死は果たして無駄だったのだろうか。おいらはそうは思いません。また同時にこの「死」に対し、余計な(裏をかく)メッセージがこめられているとも思いません。ただ、彼は短い生を行き、そして死んだ、ただ、それだけです。それだけなのに、彼の生き様は決して無駄ではなかったと思えるのです。
それと、これは一つ注文なのだけれどエンドロールの後に続いたシーン。あれはちょっと蛇足だったなあ、と個人的には思います。なくても十分に理解できたし、まあ、親切心で付け加えたのだろうな。うーん、でもなくてもよかった。
最後に、このエントリーについて。
< 2008-08-26 - 挑戦者ストロング >
前の方の座席に座ってたオレは、上映が終わると後ろを振り向いて他の客の顔を見てみた。ほとんどの人は「うわあ…何これ…」みたいな険しい表情をしてた。道端でネコの死骸を見かけた人の顔だったぜ。それ以外の人は寝てるか、寝起きの顔だった。こういう極めて普通の反応を一切なかったことにして、やれ若者へのメッセージだのやれ時代性だのともっともらしいことを言われてもそんなん知らんがなと思う。
『スカイ・クロラ』がid:Dersu氏にとって退屈なのは分かったけど、それを最後に他の観客も同じような反応をしていたと責任転嫁し、自分の意見をさも大衆の意見のように書くあたり、よくいる日本人の典型だなあと思いました。
もしやと思って、過去ログを探ったら宮崎駿は好きなんだな、この人。で、『崖の上のポニョ』の感想も読ませていただいたけど、これは映画評ではないよね、単なるハッタリ。ハッタリもしくは個人の拡大解釈でしかない。これ読んでなるほどと思ったり、はてブつけたりする人が多いのを見て、はてな界隈の民度の低さを物語っているなあと思いました。
『ポニョ』を絶賛していた知人が「あの映画の何がすごいって全部、手描きのセルで描かれてるってことだよ」と言っていましたが、そういう輩は『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』でも見ていなさい、ってこった。このアニメだって手描きでここまでやってるんだから、『ポニョ』と同等の評価をしてやれよ、と思うのです。
ちなみに『スカイ・クロラ』のサントラもすばらしかったです。おいらは既に300回以上聴きました。
オリジナル・サウンドトラック 「SOUND of The Sky Crawlers」
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