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このページを読む者に永遠の呪いあれ

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コメントを書きこむ前に、こちらの記事に必ず目を通してください 「処刑宣告

素直になれないオタクたち

オタク 漫画

オタクのことを少しでも知っている人なら、既にご承知のことだろうが、女性向メジャージャンルは、80年代から少年漫画だった。

この手合いの描き手、つーか腐女子は週に何度も少年漫画に触れているはずだし、コミックスも相当数持っているだろうし、本人に問えば「少年漫画好きなんでぇー」と答えたりして、まさにこれぞ腐女子ステイタス。

しかし、だ。

不思議なことに、彼女達に漫画を描かせると驚くほど少女漫画のコード・様式に則っている。
この手合いの同人作家が少女漫画や女性向でプロになることはあっても、少年漫画家青年漫画家になることは極めて少ないと思われる。
しかし(正体は)腐女子作家がエロ漫画誌に描いている人も多い。
何故ならエロ漫画は、少女漫画、少年漫画、青年漫画、またはレディース漫画といったごった煮「ちゃんぽん」ジャンルなので、ジャンクとしてとらえられる。
だから、描き手がコード・様式の規制に縛られることはほとんどないと言っていい。最近では少女漫画コードなエロ漫画も増えている。しかし、男性向ジャンルとしての牙城なので一般性の高いエロ漫画ほど青年漫画・少年漫画のコードに則っている気がする。

女性作家で少女漫画コードを削ぎ落として、男性向漫画に徹していたのは桃栗みかん河下水希くらいじゃないかな。河下水希は『ぶ〜け』時代から徹底していたし、故に『ジャンプ』に引き抜かれた。
だけどあの人こそ、華麗な転向を遂げた特殊事例であって、他の腐女子作家はみんな少女漫画の呪縛もといコードや様式から免れていない。
河下水希も、もともとは少女漫画の人だったが、あそこまで変われたので、コード・様式を変更することは想像以上に簡単だと思われる。要は意識を変えればいいのだ。今まで無意識だったものに対し意識的になる。
それだけで、おそらくコード変更は可能なはずだ。
しかし、腐女子作家の大半が頑なに少女漫画のコード・様式を死守する。というか、その表現様式にしがみついている。

何故だ。

例えば、津田雅美の『彼氏彼女の事情』は、コード・様式ともに少女漫画フリークによる漫画なんだけど、本人は「少女漫画はそれほど好きではない」としれっと発言する。
絶頂期の高河ゆんも「私の絵は車田正美先生に似てるんで」って爆弾発言をしていたが、いや、似てないだろ。一時も似たことないだろ。それは高度なギャグですか。似ているっつーのは、SCA-自と池上茜みつみ美里みたいないのを言うんであって、いや、あれは酷似の域だ。

違う。
絵柄とコード・様式が似ていることは別物なので、高河ゆんが車田に似ているって言ったら、見開きページで、躍動感のない技の掛け合いを描いていたら、似ているってことになる。
例えば、腐女子系作家に多い馬面は元を辿れば、青年漫画や少年漫画の劇画系からきていると思う。あれらが「進化」した結果、馬面という絵柄を生み出した。これは「意識的」な産物だ。

要するに、絵柄は「意識的」に作り出されるが、形式・コード・様式は「無意識的」に表出するものであるから、絵柄が少年漫画に影響されていても、形式・コード・様式が少女漫画だったら、その作家は少女漫画フリークということになる。
しかし、そうした「形式と内容の不一致」性は、オタク業界で広く浸透していても、一般から見たら不自然でしかなく、だからこそ、オタクジャンルというレッテルから逃れられない所以になっているのではなかろうか。

そして、「ダーツー」にしろ「がゆん」にしろ、こういうことを平気で言ってしまう少女漫画フリークな少女漫画家も増えている気がする。一昔前の少女漫画家だったら絶対に言わなかったと思う。
「明らかな嘘」であることがすぐに分かるのに言ってしまうのは、女性は見栄の生き物ってことですか。そうですか。

「今日買ったBL」をずらずら〜と日記に書いて、本人の漫画はどー見ても少女漫画コードで、だけど一番好きなのは大友克洋です、と書いてる腐女子を見ると、嘘つけと言いたくなる。

それは「好き」ではなく「憧れ」と呼ぶのだ。だがしかし、憧れや理想に近づこうとするのが普通だとすれば、「大友なんてどうでもいい」が本当の答えだろうに。

本当にリスペクトするのであれば、無意識に「形式」は似てくるものである。大友が好きだったら大友の「形式」を取り込んでいくことのが自然なのだ。ところが、別の「形式」を採用していることが、「どうでもいい」のではなかろうか、と思ってしまう所以である。

しかし、こうして考えると、どうして彼女達の深層心理に根付いている少女漫画やBLは隠蔽されるのか。

本音だから白状したくない、という心理の表れなのか。いや、「無意識」なリスペクトだからこそ「本音」に気づいていないだけかもしれない。

そこいくと、アキバは平気で自分の好きなエロ漫画のこととか話すよーな。つか、男性同人作家の多くがリスペクトしているのは一様にエロ漫画(笑)だと思われる。

〇蜜柑の絵が一時期どう見ても、二宮ひかる似て蝶だな、って思ったら、本当に二宮ひかるが好きだったようで、でも〇蜜柑は青年漫画フリークというよりエロ漫画フリークだ、といった風に。〇蜜柑は別に隠蔽していないけど(笑)。(というか、彼は自身の漫画の趣味について露出しない作家なのでそこのところはまったく分からない)

新條まゆ空知英秋を同時に読んでいる腐女子がいて、そいつがどっちのフリークか、どっちが本当は好きなのか、って言ったら、絶対に新條まゆだ。
くどいけど新條まゆの作り出す少女漫画コード・様式、妄想パターンに則っているものを描いていれば、コード・様式が同じ作家により強くシンパシーを感じているのは事実で、新條まゆが好きだという腐女子が多いことは、それこそ「無意識」に素直に従った「自然」な現象だと言える。

<アンサー文章を書いてみた>
漫画表現は…ジェンダー - このページを読む者に永遠の呪いあれ