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バビロンに帰る/スコット・フィッツジェラルド

だいぶ前に読み終えた上に、現在手元に本書がないのでなんとも言えないのだが、フィッツジェラルドの短編を読んだのは今回が初めて。


訳は村上春樹になっているけど、まあほとんどの仕事は柴田元幸がやったんだろうな、と思う。


各作品ごとに村上春樹のコメントが割かれているのだけれど、表題作が一番よいそうで、こんなにいい小説はない、と断言している。


だけど、おいらが読んだ感想では、1番目の『ジェリービーン』と『カットグラスの鉢』、最後の『新緑』の方が表題作よりずうっとよかった。
これは個人の趣味としかいえないのだろうけど、それでもどうして表題作のどこがそんなに抜きん出て優れているのか、おいらにはちっともわからなかった。


特に最後の『新緑』を春樹はけなしているけれど、おいらはこの短編が一番好きだった。
最後の物悲しい終わりはまさにその後へと続く『グレート・ギャツビー』のラストへの布石そのものだと思った。ちなみにおいらが読んだのは野崎孝訳です。

グレート・ギャツビー (新潮文庫)

グレート・ギャツビー (新潮文庫)


しかし、春樹がフィッツジェラルド好きなのは有名だし豪語しているけど、おいらにはいまいち春樹がフィッツジェラルドの影響を受けたようには思えない。と言っても、最近の春樹作品は全然読んでいないので、どのように変化しているかわからないけれど、『神の子どもたちはみな踊る』を最後にして、読んだ限りでは、相変わらずアメ文の皮かぶった川端康成系の純和風・日本文学にしか見えなかった。
今の村上春樹の国際的評価ってのはかつての川端や三島に対する逆差別に近いものを感じる。


さてしかし、春樹とフィッツジェラルドの類似点はどこにどうあるんだろうね。おいらにはさっぱりわかりません。



<複>『バビロンに帰る』スコット・フィッツジェラルド ★★★