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文学の位置づけ

現在は小説の社会的地位が低下して、文学そのものの位置も下がってきましたが、そもそも小説は初めは地位の低いジャンルでした。

平安時代の女流文学は物語や日記、紀行文が主ですが、それらは当時の文学的ヒエラルキーの中ではかなり下に位置していた。では上の方にあったのは何かというと、漢詩や漢文です。それは男が書いた。
社会的に重要とされたのはだんぜん漢文の方であって、「源氏物語」なんかマンガみたいなものです。「枕草子」は芸能人のエッセイみたいなものです。

いまは逆に源氏や枕草子の方が読まれて、漢文・漢詩は研究者とか専門家しか読みません。これは女性の地位が上がったというより、近代の日本人が小説やくだけた日本語で書かれた文学をもてはやすようになったからでしょう。
小説の地位は欧米でも日本でも19世紀ぐらいから急激に上がります。それまでは今で言えばマンガやアニメで、低俗なものだと見なされてきた。
小説の地位が上がったら、近代では漢文や漢詩や難しいラテン語の学術書の人気が急激に衰えた。それで、小説が高尚な文化の代表のようになった。それはゲーテとかトルストイみたいな人生論者が出てきて、小説の社会性を強調した結果かもしれない。
とにかく文学の社会的地位は時代によって変わるものなので、人生論の文学に頼っていたら瞬く間に没落し、漢文や漢詩のようになると思います。

(文責:Z)