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SMの話/河野多恵子『後日の話』『みいら採り猟奇譚 (新潮文庫)』


後日の話 (文春文庫)

後日の話 (文春文庫)

確かドゥルーズだったと思うのだけれど、「マゾヒストは近代的な存在である」とか言っていて、これはつまり、人間は攻撃本能を備えているから、サディストってのは昔から多いが、(凶悪犯罪者のほとんどがそうでしょ)マゾヒストは最近になって登場してきたという話。

で、SMと言えばサドこそ一切を握る権力者に見えるが、果たして本当にそうなのか。
実はサドが一番恐れているのは、「真性のマゾ」ではないのか。何故なら、サドにとっての快楽は「嫌がる」様を見ることであり、「殴ってください」などと懇願してくる奴は理解できないし、いじめても楽しくないのが真実だろう。

つまり、サドVSマゾ対決をさせたらマゾのが強い。
それでもって、SM行為における主導権は、実はマゾにあり、マゾがサドを教育しリードしていくわけです。

そして、マゾの最終目的はずばり「殺されること」にある。
それは「誰でもいいから殺してくれ」ではなく、「こいつにだったらマジ殺されたい」と思う相手に殺されなくては嫌なわけです。

一般的に流布するイメージは、実にファッション的だけど、サドマゾというのは「病気」などといった一過性のものでも、トラウマでもなく、その人の生き様そのものになってしまうのが真相だと思うのです。
だから、安易にSMをテーマにするなよ、と思うのだけれど。

さて、話は変わって、ここに一人のマゾ君(40歳♂)がいました。彼はとても若い女の子(19歳・♀)と結婚しました。
でも、女の子はサドではありませんでした。

マゾ君は初夜から、大好きな彼女をサドに育てあげるための教育をはじめます。女の子は言われたとおり、一生懸命、マゾ君をいじめます。マゾ君が満足すると、「次はあたし。ち〇ぽ頂戴」となります。

そうして月日は流れ、2人の愛はSMを通じてどこまでも深まっていきます。
マゾ君は彼女を愛すれば愛するほど、「マジ、殺されたい」と願うようになり、サドに育て上げられた女の子は、「あたしはこの人を殺さなくてはいけない」と思うようになります。
この2人にとって「愛」そのものが、「殺し、殺される」契約だったのです。

さて。

10年かけてこういう小説を書き上げた作家がいました。河野多恵子先生です。
現在芥川賞選考委員をしていますが、マゾを主題にした作家としても有名だった谷崎潤一郎の研究者でもあります。
で、谷崎という人は本当のマゾで、彼の場合は、心から好きな人を他の男に譲ってしまうんですね。「自分にはもったいない」とかいってあげてしまうわけです。(実話)
うーん、、、理解しがたい世界だ…。

ところで、谷崎=「痴人の愛 (新潮文庫)」という風潮どうにかならないかな。あれは谷崎作品の中でもかなりB級ですよ。あれでは、谷崎の本当の良さなんてちっとも分からないと思うんだけどなあ。

で、上記の小説は「みいら採り猟奇譚 (新潮文庫)」と言います。河野多恵子には珍しく男性のマゾを描いています。ちなみに、これが最高傑作。
自分はこの小説を読んだ後、1ヶ月放心してました。その後は、村上龍のSM小説なんて、読めなくなってしまった。その位、河野多恵子のSM観はすごいのです。

で、最近読んだ「後日の話」。また題材がすごい。「処刑される直前の夫に鼻を齧られた女性の話」。最後に彼女が選ぶ選択が哀しいのですが、やっぱすげえ、としか言いようがありません。
ネタバレるので、これ以上は書きませんが。

この作家がすごいのは、テーマが屍姦、SM、少年愛ペドフィリア(ショタ)といったグロテスクなモチーフを扱っても、それらが全て「完成度の高い芸術作品」になってしまうことです。
ちなみに、壮絶な純愛物語=夫婦ものが河野多恵子の得意とするところです。あとは、男と同棲しているマゾの女が、ショタコンというパターン。(…)

当然ですが、一番好きな作家です。盲目的に好きです。


<複>河野多恵子後日の話 (文春文庫)」(文庫)★★★★1/2