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取り替え子(チェンジリング)

取り替え子 (講談社文庫)

取り替え子 (講談社文庫)

一体何冊目になるだろうか…大江健三郎の本は。
考えてみれば、自分の人生、これだけはまったのは大江を置いて他になく、現在はマイ・ランキングに移動があって、トップに君臨していない作家ではあるし、正直はまっていた時期を思い出すと「若気の至り」としか思えない熱狂振りだったわけで、今ではその頃の自分が青かったなあとちょっと恥ずかしく思うくらいなわけですが。


初期〜中期は完全制覇していて、後期はぽつぽつ読んでいるのだけれど、まあ、真面目な読者ではないことは確実だ。
で、大江の本もとても久しぶりに読んだ。しかし…現在の大江健三郎を見ていると、この人本当に根っからの左翼なんだなあと、思います。(文化勲章を辞退したのもそういう理由だし…でも今の天皇家はいいと思うんだけど、この人はやっぱりダメなんだろうなあ)
若い人でもディープでコアなファンが結構いるんで、そういう人もろとも洗脳してほしいですね。つーか、この人は文学界長嶋茂雄だから(笑)何しても許される天然カリスマさまだから(笑)信者も極端に盲目的な人が多いしみんな真似したがるし。しかし、批判されるとすぐに怒るのは何とかならんか。


実際この人のファンが自分の周りには一番多く、家におしかけてしまった「押しかけ厨」な人までいた。さらに言うと大江の小説世界のせいで、自殺したり人殺したり、人生狂わされて発狂する読者を最も多く輩出しているとも思う。
大江健三郎とは思春期・青春期に出会ってしまうと一番ヤバイ作家の一人であり、蛇足的に言うと思春期・青春期に出会ってしまうと一番ヤバイ音楽は「ザ・スミス」だと、経験含めて明記します。


This Charming Man, Remixes

This Charming Man, Remixes

余談ですが「ザ・スミス」はモリッシー率いる80年代の英国のインディーバンドで、実際、彼らの音世界に耽溺しすぎたファンが5名ほど自殺していて、それについて意見を求められたモリッシーが「彼らはもともと自殺願望があっただけで僕らの音楽がその後押しをしたとしても僕には何の罪もない」と言い放っていた。確かにそうなんだけど。
ちなみにレーガン大統領が死んだ時、モリッシーは「ブッシュが死ねばよかったのに」とこれまたすんごいことを言い放ち、スキャンダルになっていた。(笑)
関係ないけど、『取り替え子』の文中で、何の説明もなしに掲げられている謎の写真は、ジャン・コクトーの映画『オルフェ』のスチルじゃないかなと思うのでだけれど、偶然にも「ザ・スミス」の2枚目のシングル「ジス・チャーミング・マン(This Charming Man)」のジャケットも『オルフェ』だった。


どうして大江がこの写真を掲載したのかは不明だけど。まったくの偶然だろうが、自分の10代を代表する大江とスミスが、個人的にリンクされて、ちょっとびっくりした。(ただし、小説にある写真の引用元の確証がとれないので『オルフェ』つーのは憶測なのだが、どう見ても役者がジャン・マレーにしか見えないし、ポーズが一緒なんだよねえ)


話を戻すと、大江健三郎ってやっぱり、日本で最も影響力のある作家だと思う。
例えば、昨今はやっている「いやし」ブーム、「はげまし」ブーム。
これって、多分一番最初に言い出したのは大江(の小説)だったはず。大江読者の間では「癒し」「激励」って言葉を使うだけで、「大江ワードかよw」と反応していたのに、今では一般にも広く浸透しちゃって、「大江ワード」の域を超えてしまった。


つまり、現在のブームの作り手たちには大江シンパが多く、その人たちが大江の影響で「俺も俺も」と大江の真似して、そうした隔世遺伝現象が今のブームを作り出していると思う。


作家のなかにも大江エピゴーネンって本当に吐いて棄てるほどいるし。島田にしろ、阿部和重にしろ、奥泉にしろ、これらは文体だけでわかるけど、実は村上春樹だって『1973年のピンボール (講談社文庫)』なんてタイトル聞いただけで、こちとら大江中期の代表作『万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)』を瞬時に思い出してしまったよ。


さて、本題の『取替え子−チェンジリング−』ですが、言わずもがな、これは彼の義兄にあたる伊丹十三監督の自死を巡る擬似私小説です。中期以降の特に後期になってからの大江健三郎はひたすら私小説風になって言って、特に長男のイーヨー(本当は「ぷーさん」と呼ばれているらしい)を題材にした家族小説が多いわけですが、これもその一つと数えていいでしょう。


小説全体の感想を申しあげますと、相変わらずの大江節というかカセットデッキのことを「田亀」と呼んだり、松山のことを「マッチャマ」と表記したり、あんたがこーゆーことするから、みんな真似するんだよ!! と言っても分からないだろうけど、そうした相変わらずな大江節健在全開で幕を開けます。


と言っても、後期前半の混沌とした「いかにも過渡期」だった無茶苦茶不親切で分かりにくかった、おかしな日本語はここにきて洗練されており、最近の文体は非常に明確でわかりやすくなっているなあ。『懐かしい年への手紙 (講談社文芸文庫)』を髣髴とさせる世界観は個人的に好きです。


あらすじを割愛しまくって書くと、明らかに伊丹十三がモデルである映画監督・吾良(ゴロウ)が自殺し、彼の残した膨大な量の音声メッセージを鬱々と聞きながら悶々と日々を過ごしている、これまた明らかに大江健三郎がモデルであろう世界的に有名な作家・古義人(コギト)が、吾良の死を乗り越え、再生していく…というのがストーリーの大まかな流れではあるが、最終的に古義人を取り込んで「再生」するのが古義人の妻であり吾良の実妹・千樫(登場人物の名前があまりに無さ過ぎる…変換に苦労しているんですが)であることが最大のポイントかな。


話の大半は吾良の遺したものを頼りに回想を重ねる古義人がメインに進むのだけれど、小説の佳境は後半の千樫による吾良への思いを綴った章「モーリス・センダックの絵本」であり、彼女がこの絵本への思い入れと吾良への複雑だった思慕を重ねることで、同時に物語は一気に開放へ向かいます。その手腕は実に見事としか言いようがない。


そして最後の結び…これがまたお約束な大江節なんだけど、毎度ながら感動はさせられてしまうんだよなあ

−−もう死んでしまったものらのことは忘れよう、生きているもののことすらも。あなた方の心を、まだ生まれてこないものたちにだけ向けておくれ。
大江健三郎『取り替え子(チェンジリング)』より

これだけだと、「?」な人もいると思うけど、要約すると「われわれが未来の人々に対して責任を感じて人生を送れば、世界を間違った方向に導かない」という非常に左翼的なメッセージなわけです。


倫理21 (平凡社ライブラリー)

倫理21 (平凡社ライブラリー)

以前に、大江健三郎柄谷行人にむかって「あなたの(思想家としての)仕事は素晴らしいと思います!」と突然激励されて、柄谷が相当面食らったという逸話があるけど、なるほど、これでは大江が柄谷を激励するわけだわ。


つーか、この一文だけで柄谷の『倫理21』のテーマを語っているし、『倫理21 (平凡社ライブラリー)』の結びに非常に感動した自分は、久しぶりに読んだ大江の小説でも同じ主題が繰り返され、それこそはげまされました(笑)。
大江も柄谷の最近の仕事には「激励」されっぱなしと見える。


しかし、この本、固有名詞を上げずに、有名人、著名人を(伊丹監督の自死を中傷した、もしくは自分の小説をけなしている理由から)かたっぱしから攻撃していて、実在のモデル探しをするだけでも結構楽しいです。


思い出せるのは、おすぎとビートたけし大塚英志武満徹(は攻撃対象ではなく登場)でした。あと数名分からなかった人もいた。


それと最後に、伊丹監督の事件を誹謗中傷した記事を掲載した出版社とはその後に縁を切って、原稿依頼を受けるのを断った…出版社ってもしかして「新潮社」のことでしょうかねえ? 大江の最大版権を抱えている出版社といえば…新潮しか思いつかなかったので。
いずれにしろ今の大江では、公安と繋がっているという専ら噂の件の出版社の体質自体、絶対に相容れないだろうから、縁を切ってよかったんじゃない? と個人的には思いますが。



<複>大江健三郎『取り替え子(チェンジリング)』(文庫)★★★1/2