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読者は本当のバカかもしれない

「読者はアッパッパーだからバカにも分かる話を描け」と編集者から言われたという話をよく耳にするが、実際に過去、自分も同じことを言われた経験がある。
その時は「読者をバカにすんな」と息巻いたわけだが、最近では本当にバカかもしれない…と思うようになってきた。

これは漫画における「読解力のスキル」についての話だ。
例えばどんな漫画にも「オチ」がないと納得しない人を見かける(関西人と言うわけではないようだ)。
ストーリーを放り投げた感じで終わるラストを全く理解できない人が確かに存在する。
さらに言えばモノローグがなければ、キャラの表情だけでは心情がわからないと言い出す始末だ。

経験主義的なことだけは言いたくないが、つげ義春でもいい、あの辺一帯の昔の『ガロ』系作家の作品をこういう人が読んでも、全然よさが理解できないんじゃないかと思うと、同じ漫画読者として戦慄してしまうのだ。

そういう人たちに共通して言えるのは確実に読書経験が浅いということ。
「経験」とは「量」の問題じゃなく「質」の問題だ。そういう人と話をすれば分かるが、恐ろしいほど過去の名作を知らないし触れてない。
漫画に限った話じゃなく、有名な映画や小説や音楽も知らない。とにかく何も知らない。しかし何故か上から目線。←ここ大事

昨今「無知・無学であることを自慢する」人たちが、ものすごく増えているんじゃないかって気がする。特に若い世代ほど多い気がするのだ。

数年前、岡田斗司夫の「オタク・イズ・デッド」論争というのがあった。

かつてSFを知るためには何百というSF小説を読まなければならなかったが、スターウォーズがビジュアルでその魅力を伝えてしまってからは、本を何百冊も読んだり、原語版に当たったり、という苦労は誰もしない。同じSFのセンスオブワンダーであっても、一度絵という判りやすいものが出来ると、それ以降は堅い小説のような難しいものは受け入れられないし、その流れは止めようがない。ファンは増えたけど、SFファン以前とは違う人々になってしまった。

同じようにオタク文化においては「萌え」という言葉がオタクを判りやすく伝え、仲間は増えたけど同じようにオタクは以前とは違う人々になってしまった。オタク文化を守ろうと思ったら在日文化のようにその文化を規律で固めていくしかないが、もはやそんなことは不可能なのだ。

オタクは死んだのである。

オタクは死にました - kasindouの○記

しかし壇上で「オタクは死にました。みなさんの言葉を広く伝える評論家もこれからはいません……」と語っているうちに、感極まって壇上で言葉を何度も詰まらせる。

オタクは死にました - kasindouの○記

彼がここで泣きながら訴えたのは、かつて「オタク」と呼ばれた人々は、知識や情報量の多さで分析にまで至れたし、何に価値があり何に価値がないのか判断ができた。
しかし、今の若い世代は溢れる情報に翻弄されてるだけで、一時の流行に身を委ね、その場しのぎの快楽主義者に成り果てた。
こうした事態を嘆いての岡田氏の発言だったわけだが、数年たった今、とてもよく分かるのだ。

評価の高い作品と言っても二種類ある。
評論家たちの間で評価が高い場合と、口コミだけで評価が高い場合と。この二つは全く違うわけだが、ここで指摘してる人々は恐らく口コミしか信じない人種であり、専門家の文章など微塵も目を通さないし耳を貸さない。

評論家といってもピンキリなので意見を聞くに値しない人も当然いる。しかし同時に鋭い指摘ができる人もいる。そうしたプロの意見をガン無視して、あーだこーだと趣味だけで作品を語ってる人が今、非常に多いのだ。

漫画という表現を一つとってもその可能性は無限であり、いまだ未知数な部分は限りなく多い。
若い世代の人たちの漫画に対する文法、様式、コマの配置、流れやテンポといった、そうした諸々の表現に対する読みの浅さがとにかく気になって仕方ないのだ。

自分は気になった作品については、ネットや時には書物も利用して評価や情報を調べることが多いわけだが、そうして得た知識を先ほどの経験の浅い人たちに言うと必ず、「そんな風にいろいろと調べるから嫌な部分まで知って頭でっかちになるのだ」と真顔で言う。

どうやら「無知」であることの方が、「純粋」に作品を理解できると思い込んでいるようだ。