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学生時代のオタク差別について

今の若い世代(10代)のオタクの子達がどういう環境にいるか見当もつかないが、おいらが学生だったころ、オタクと見なされた連中はことごとく差別され、クラスメイトらからは「キモい」と煙たがられ、無視され隔離され、孤立し、あるいはいじめの対象になっていた。彼らも当然、普通の生徒らに近づきはしなかった。これは90年代の頃の話。

おいらは結構年季の入ったオタクなわけだが、当然リアのころ既にオタクだった。しかし何故か、そういったオタク連中と群れることも、口を利くことはなかった。いつも一緒にいた友人らは全員、アニメ・マンガに対する興味はいたって標準の、いわゆる普通の学生で、オタクから言わせるとリア充と呼ばれる類の学生だった。
友人たちはおいらがオタクであることを知っていたが、そうした孤立したオタク連中と同類と見なすことはなく、いじめたりすることもなく、今思えば不思議だが、容認してくれていた。

そして、オタク連中は、そんなおいらを当然避けていたし、またおいらも普通の学生らと群れていたから、下手に口を利いたりすれば、いじめの対象になりかねないので、必然、彼らと距離を置いていた。
友人らは総じてオタク連中を嫌っていたので、おいらがオタクであることを知っていながらにして、しかし「連中とは口利くな」みたいに言われていた。そこは子供だったので、保身のためにも友人の忠告どおりにしていた。

学生時代はそんな環境が続いていたので、今振り返ると、学生時代はオタクの友人が皆無だった。つまり、おいらがイベントに出はじめたことで、初めてオタクの人々と交流するようになったわけで、それまで彼ら、オタクと呼ばれる人種の中身をほとんど知ることはなかったわけだ。

そんな風に年食ってから彼らと交流するようになり、そうした中で、オタクになったきっかけの話なんかになると、みな学生時代から友人の影響でオタクデビューしている人がほとんどだった。つまり思春期の多感な時期にオタク友達と群れていた、いわゆるおいらが学生時代に遠巻きに見ていた「隔離された人々」がほとんどであることが分かった。

結論を言うと、90年代に学生だった世代、今の20代後半から30代前半の人たちの世代、さらにその上の世代にとって、オタクの子達は特殊な存在で、周囲から浮いていて、一般人に溶け込めず、あるいは排除という形での待遇を受けていたのがほとんどではなかろうか。

さて当然だが、大人になった彼らがそうした暗黒の学生時代を語るわけもなく、おいらもそこまで無粋ではないので聞いたりしないわけだが、彼らと接するようになってずっと感じている、ある種の未熟さ、幼稚さ、権力に果てしなく弱く、自分より下の者には思いやりのかけらも見せない、利己的で傲慢で、賞賛されることばかり望み、批判されることを極端に嫌い、他人を妬み僻む、そうした傾向は、こうした暗黒の学生時代が起因しているのではないだろうか、とふと思うことがあるのだ。

実際、おいらより上の世代のオタクの知人に、自分が学生の頃はオタク差別はひどかったという話をふったら、当然だ、と返された。
その知人も、学生時代はほとんど友達がいなくて、いじめられていたそうで、いわゆる同人を知たことで、初めて自分の居場所を見つけられた、と言っていた。

学生時代、クラスメイトらからつまはじきにされ、アニメや漫画に逃げ込むことでしか自らの居場所を見出せなかったオタクたちにとって、漫画やアニメは「現実逃避のシェルター」としてのみ機能していに過ぎないのではないか。
そして、同人という生温いぬるま湯的村社会では、心にもない褒め殺しをしあうことで自己満足し、そうすることで自己実現ができていると過信しているのではないか。
しかしながら、これらはまったくもって、詭弁もいいところなわけだが。

さて、話を戻すとおいらの世代に比べて、今の若い世代、00年以降から現在のオタクの子達が学校という集団生活において、どういう境遇にいたのか、またいるのか、とても気になるのだ。
おいらの世代は間違いなく異質の存在として扱われ、一般からは孤立していた。
しかし、ネットの普及によりpixivやツイッターに出入りしている若い世代が、ネットも携帯もなかったおいらの世代と比べて、どれほど環境に違いがあるのだろうか。
やはり、今でもクラスでは孤立した存在なのだろうか。

学生時代、オタクでありながら、オタク達を常に遠巻きから傍観する立場だったおいらは当時、彼らに対して不思議な同胞意識を抱えながらも、やはり彼らを差別する側であったことには違いないのだ。
そして、そうしていた頃の自分を思うとき、現在のオタクばかりに囲まれた環境にいながら、やはり彼らを冷めた視線で眺めてしまうことに傲慢さを感じながら、もし、学生の時分にオタク連中とばかりつるみ、そうした仲間だけと交流していたら、今とはぜんぜん別の人格が形成されたのだろうか、とふと思うのである。