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大島渚と日本/四方田犬彦

大島渚と日本

大島渚と日本

いつ読んでも思うことだけど四方田犬彦は、毒にも薬にもならないと言うか当たり障りがないというか刺激的なことを言わない人だなと思っていた。


でも、今回は自分の一番好きな映画監督についての著作なので、すごく期待して読んだ。
結果はと言うと、いつもの四方田と変わらなかったというか、目新しいことは何一つ書かれてなかった。


ぶっちゃけいうと、大島の映画を社会と政治の視点から語ったら、とてもつまらない映画になるわけで、その点を四方田は回避してはしているのだが、だからといって、四方田のように映画にちりばめられた記号を系譜で語っても面白くも何ともないというのが本作の率直な感想だった。


おいらは大島の書いた著作を読んでいないから大したことは言えないが、もし大島の言っている事に即して分析しているとしたら、それは間違いだと思うし、なぜなら大島が自分の作品について解説してることなど絶対的に面白くないはずで、大島の言っている事に耳を貸して映画を批評したらいかんと思うのです。


それと大島の映画は社会性と批判精神と政治性にまみれた題材を扱っていながら、時折ふと作者の手を離れるかのように驚くほどの叙情をかもし出すところが最も面白いわけで、しかし四方田はそういう部分には触れず、大島映画のお約束事を分析したり、これはこういう意味だろうと、映画を意味に還元して解釈しているので何ともつまらない批評になってしまっているのです。


言及されている作品に関して言えば、『少年』や『戦メリ』は大島映画のなかでも最重要作だと思うのだけれど、ほとんど掘り下げられていないし、逆にどうでもいい失敗作(だとおいらが思っている)『日本春歌考』や『御法度』『愛の亡霊』について深く分析されていて、どうしようもないなと思いました。その辺の言及される作品のバランス的にもいまいちだった気がする。


最後の大島映画の総括も大島がパゾリーニに似ているというのは牽強付会だし、何故なら大島映画のほうがパゾリーニに比べたら断然叙情的だし、パゾリーニのような象徴主義に陥っていないから面白いのであって、一緒に語るのはまったくの無意味だと思う。
それに大島が日本に対する最大の批判者であったとか、今更すぎて正直どうよという気になった。


確かに大島の映画はゴダールのような映画に対するオマージュを持たない。その点は同意する。そうした誰にも似ていない、ワン・アンド・オンリー性がすごいのだし、映画ごとに手法を変える点が面白いのも事実だ。その点を系譜から離れて、作品単体で評価していって欲しかった。


書かれていたことで一番同意できたのは、大島映画が「常に孤独であった」という部分だけで、それは大島は誰よりも孤独を理解し、理解しているからこそ孤独を撮ることが非常にうまい映画作家だったわけだが、これについては本当に一行で済まされてしまっていて、むしろこの部分を、なぜそうなるのか、そうなることによって導き出されるあふれでんばかりの叙情の正体は一体なんなのか、という点をもっと深く掘り下げて書いて欲しかった。


大島映画の入門書として読めばそこそこ面白いのかもしれないが、批評書として読むには全然もの足りない本だというのが率直な感想でした。


SWITCH vol.28 No.2(スイッチ2010年2月号)特集:闘う、大島渚

SWITCH vol.28 No.2(スイッチ2010年2月号)特集:闘う、大島渚

ちなみにちょっと前に出された『Switch』が大島渚特集をしていたので、購入したのだけれど、これも相当ひどい内容というか、全体的にがっかりするような中身だった。
フィルモグラフィーのライターが『少年』が重要な作品と書いていたのが唯一の救いかと思いきや、最後に「自分は『御法度』が一番好きだ」と書いていて、だめだこりゃ、と思った。
だから、『御法度』は大島がぼけちゃっているんだって、あれは本当に「大島は終わってしまったんだな」という映画の代表なわけで、それを評価されると大いなる誤解を生むんだって。


やっぱり、大島がしっかり評価されるにはまだまだ時間がかかるのだろうなと思いました。



<初>『大島渚と日本』四方田犬彦 ★★1/2