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君が壊れてしまう前に/島田雅彦

君が壊れてしまう前に (角川文庫)

君が壊れてしまう前に (角川文庫)

日記形式で書かれた14歳の中学生日記。1975年の元旦から始まって大晦日で終わる。


島田の作品は総じて読みやすいが、読んだ後で「……で?」となることが多いのだがこれは面白かった。


主人公の♡(なぜ記号なのかは不明)が青臭い中学生らしく複数の女子の間で揺れる。最初は五月というクラスメイトの女子だったが、クラスが別れ、彼女が入院している間に、同じクラスのエミコに心惹かれていく。
そのうち、五月は悪性骨肉腫で他界する。


その間に、創価学会で在日の女の子を好きになる和泉という友人の話があったり、クラスメイトと一緒に映画を撮ったり、父親が家出したりする。
しかしこの主人公、どうにも惚れやすく、家庭教師の女子大生に惚れ、夏期講習で一緒のクラスになった女の子に惚れ、中学生という生き物はこうだったかなあと思ったりしながら読んだ。


それでも最初に好きだった五月が死んだ後で、エミコと急速に近づき、キスしたり乳吸ったりするのを読んで、妙なリアリズムを感じた。


五月の死は大きく取り上げられているが、それとは別に主人公の終わりなき日常は続いていく。そうして彼女が死んで間もないのに、性欲に負けて、エミコと乳繰り合う様はわれわれにとってリアルなものではないだろうか。


そこで思い出されるのが村上春樹なわけだが、村上の一連の小説のセックスのあり方とはまったく対極の描かれ方を本作はしている。いわゆる他者とのセックスに感傷が介在しないのだ。
あるのは性欲のみで、それが村上との大きな違いであり、その意味でこの小説は村上春樹の小説よりはるかに面白いし、村上への批判としても読める。


つまりは、われわれが大事な存在を失った後、他者と身体を重ねるのはそれを穴埋めするからではない。
それとはまったく切り離されたところで身体を重ねるだけなのだ。


村上春樹が布教し蔓延させた「もののあわれ」なセックスではなく、単にセックスしたい、というあまりにも素直で実直な欲望に従う本作の主人公はその意味でとてつもなくリアルなのだ。



<複>『君が壊れてしまう前に』島田雅彦 ★★★1/2