古臭い絵
ちょっと前に友と話したとき、「高橋留美子の絵は古臭い」と友が言いました。
オイラは80年代の高橋留美子の絵を古臭いと感じたことは一度もありません。
この人は「普遍」という言葉を知らないのじゃないかと思いました。
「普遍」とは「いつの時代にも通用する」ことを言います。高橋留美子の絵はこれに該当すると思っています。
今この時代に、80年代の高橋留美子の絵が雑誌に載っていても何の違和感も感じません。でも友は感じると言います。
オイラは「普遍」の存在を信じています。ていうか、これがなければどんな映画も小説もマンガもすべて過去の遺物として切り捨てられてしまいます。
何十年経って時を隔てて愛される作品はなくなるということになります。
今時の絵がわからないのは仕方ないことですが、だったら今時の絵を追求したとして、それが普遍的なものでもなんでもなく、一過性のものであったら、次の世代には切り捨てられてそれでおしまいです。
オイラは一過性のものより、ずっと愛されるものの方が優れていると思いますし、自分もそうなれたらそっちの方がずっといいです。