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モダンとポストモダン

■ モダン


俺が知ってる範囲でのモダニズムは19世紀のなかば頃に始まって、20世紀前半にそのピークを迎えている。
20世紀後半から現在はポストモダンの時代で、モダニズムは過去の風潮だと見なす輩がいる。しかし俺はそうは思わない。


芸術のモダン、近代を始めた人は1850年代のフランスにいる。フローベールと詩人ボードレール。それから画家のマネとクールベ
大雑把に言うと、モダニズムは「描く対象(事柄)を括弧に入れ、表現を前面に押し出す」ことだ。フローベールは文体を彫啄した。
その場合、味わうべきは書かれた話の内容以上にそれの「書かれ方」である。


マネの絵は浮世絵の影響もあるけど、描かれた対象の人物よりも、その表現に比重がある。笛吹きの少年が一体何者か?などと問うことには意味がない。
ということはつまり、それ以前の芸術は内容ばかり重視してきた、ということでもある。
ドラクロワの絵は見事だが、民衆をみちびく自由の女神自由の女神であることに意味があり、「民衆をみちびくパン屋の女将さん」では無意味だったわけである。
同様にベラスケスの『宮廷の侍女』もスペイン王宮の侍女だから意味があったので、「ホリエモン的資本家の女グルーピー」では無意味だと見なされただろう。
印象派の革命はマネの後に起きた。絵画史家のなかには、モネやドガよりもマネの革命の方が上だと言う人もいる。


フローベールは20世紀初頭のモダニズム小説に影響を与えた。ジョイスとカフカはともにフローベールの賛美者だった。絵画ではピカソマティスが現れた。こうした傾向は表現の内容に対する勝利である。


しかしむろん、彼らは内容を無視したわけではない。ピカソマティス抽象絵画には反対していた。何を描いたものかを完全に放棄することはしなかった。


■ ポストモダン


これが20世紀前半の終わり頃に現れたマルセル・デュシャンになると違ってくる。
いわゆるダダの芸術家であるデュシャンは、便器に「泉」と名づけて展覧会に出した。これはただの便器を芸術作品として提示する行為であって、第二次大戦後のネオダダ的傾向、ポップアート的傾向を用意した。俺はデュシャンこそがポストモダンの元祖だと思う。


ポストモダンの特徴は「権威であるモダンに反抗し、『…であらねばならない』という思考から解放する」ことだと言われている。従って規範となる価値体系を持たないわけだが、すぐ分かるように、反抗の対象である「権威」がなければ意味がない。これはモダニズム及び芸術の歴史概念に乗っかった考え方なのだ。要するにバブリーでノホホンとした芸術である。村上隆はその典型と言える。


ポストモダンのもうひとつの特徴は「虚構と現実を併置する」ことである。デュシャンの『泉』は、それが泉という名の芸術であること(=虚構)と、それが便器にすぎない事実を同時に強調する。結果的にこうした試みは、現実を重視していく。ウォーホルのマリリン・モンローは煙草屋のオバサンではダメなのである。
その意味で、ポストモダンはモダニズム以前の古典主義の発想に逆戻りすることでもあった。


ポストモダン論者は「前衛が先頭に立って芸術のシーンを変えてゆくという思考は破綻している」と言うが、それを言うポストモダン的な価値の多様化も、権威としてのモダニズム及び芸術が破綻した時点で破産しているのである。今あるのは、芸術という名の事業でしかない。