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このページを読む者に永遠の呪いあれ

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コメントを書きこむ前に、こちらの記事に必ず目を通してください 「処刑宣告

無意識が脅かす

大澤真幸によると、戦後の日本に流行したミステリ小説は、その時代の日本人の深層心理を表しているという。

例えば松本清張の『砂の器』は、ハンセン氏(らい)病患者だった父親とともに差別され、裏日本を放浪した過去をもつ男が、過去をいつわり、名前を変えて音楽家として成功し、代議士の娘と婚約する。そんな時に過去の自分を知る元警察官がヒョッコリ訪ねてくる。音楽家の男は過去を暴かれたくない一心でその元警官を殺してしまう。

殺された元警官という人物は、主人公の過去を知っているのだが、いわば高度成長時代の日本にとっての戦争のようなもの、戦争の死者たちのようなものだと大澤真幸は言う。
日本が経済成長を遂げた60年代、日本人の中には戦争で死んだ人達を裏切って繁栄の道を選んだ、それも敵だったアメリカのおかげで繁栄したという無意識の罪悪感があった。それが自分の過去を知っている男という形で描かれていた、と。

松本清張には同工異曲の作品がいくつもあるが、それらはみな経済成長を遂げた日本人が抱えた無意識の罪悪感をベースにしていた。

大澤真幸は触れていないが、ある意味では「滅びること」を主題とした手塚治虫の悲劇的なマンガや星新一の作品なども、作者が無意識にそれを表明していたと言える。

しかし1970年頃を最後に、日本人は戦死者に対する罪悪感を希薄にしていく。そして現在の日本人を覆っているのは「不在」への恐怖、社会が目的を失ったことからくる恐怖だと大澤真幸は言う。
いま日本人が経済活動をしているのは、ただ金儲けそれ自体のためであり、1960年頃まであった民主主義の推進とか、国民全員が貧乏から抜け出して豊かさを獲得するとかの目的を持っていない。

80年代までは虚構としてではあるが、先の松本清張的な罪悪感を相対化することが仮の目的となりえた。
いまはそれすらも目的になりえず、日本人は何のために生きればよいのか分からなくなってしまった。
そしてこれは日本人だけでなく、世界的な現象らしい。

『セカチュー』や『バトロワ』の流行は、いまの日本人の目的不在感を埋めてくれるからだと思う。
近年増えた多重人格も、しばしば親による虐待が原因とされているが、よくよく探ってみると、虐待された経験などない子供も多い。記憶を捏造しているわけで。
それはなぜかと言えば、全く目的のない生活を送り続けるよりは、親に虐待されたという過去があった方が救いだから。人格の解離は、そんな記憶などありもしない事実を、隠蔽するのです。
(文責:Z)