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少女にこだわる中年

大塚英志という人は、ことあるごとに「少女たちの『かわいい』天皇」とか「江藤淳の少女フェミニズム的戦後」とか、“少女”を冠した議論をしたがる。団塊の世代がマッチョで男性主義的だとしたら、大塚ら新人類世代はフェミニンな柔らかさを身上としているのだろう。
戦後、70年代から80年代にかけて「少女的」に柔軟なポップカルチャーが流行し、60年代までの(団塊の)イデオロギー偏重を打開した――というのが大塚英志の発想だと思う。
先行する世代に江藤淳のようなイデオロギー型でない批評家がいたことを大塚は重視して、ゆえに江藤淳も「少女的」と位置づける。


しかし私見によれば、女性は歴史とか社会とかの外的条件にはほとんど左右されない。むしろ女に歴史は関係ないと言ってよい。百年前でも千年前でも、女の願望は今と変わらない筈だ。紫式部という女の手で書かれた『源氏物語』が、光源氏というスーパー・ステイタスを描いたものであることは象徴的だと思う。昨今の少女マンガと何も変わらない。


歴史とか社会を問う批評家が、少女性やフェミニニティを標傍するのは滑稽だと思う。
(文責:Z)