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コメントを書きこむ前に、こちらの記事に必ず目を通してください 「処刑宣告

大塚英志のこと

読書

友達のメールで教えてもらったけど、相変わらずというか吼えてます。
以前に斎藤環ンをぶったたいた件でも別の記事を書いたことがありますが、

http://d.hatena.ne.jp/sutarin/20050605/1126760158

ネット上で大塚英志についての情報をあさっても、『トリッパー』関係のことってあまり表に出ていない気がするので、載せときますわ。

小説トリッパー大塚英志のインタビューが載ってた。「もう『文芸誌的な小説』はいらない」と言ってた。同感。
近頃の文芸誌的な小説が、ネットや携帯等のツールを描いたり、携帯サイトで配信するとか庶民が誰でもできるレベルで生き残ろうとしているのを批判してる。
ただ佐世保の小学生殺害女児がバトロワの影響で殺したあと、今は施設の中で『赤毛のアン』を読んでいるらしいことについて、「もっと早く赤毛のアンを読んでいたら事件はおかさなかったろうに」としてた。そういう問題でもなかろう。

以前に、大塚英志佐世保NEVADAは『キノの旅』を読んでいたらしく、それに触れずにバトロワばかりに注目しているのはおかしい、って言ってたな。それもそういう問題でもなかろう、と思ったが。
要するにNEVADAは、前回エントリー(http://d.hatena.ne.jp/sutarin/20060412/1144826743)に書いたとおり、幼き独我論者の最悪な例だったわけで、倫理欠如が最大の要因だと思う。それは彼女自身の問題であり、ぶっちゃけ責任問題にするなら、NEVADA自身にしか責任はないわけです。
それらをこうした作品のせいにするのはまったく筋違い、作品に責任を転嫁しようとするマスコミや世論を批判しているわりに、なんでまた別の作品を引き合いに出すのか、余計論点がぼやけるじゃないか、と意味不明なんだよな。

大塚英志は作品の力を矮小化しないので、書物の影響力を多大に肯定している。オイラもその点は同意。
だって、戦争のきっかけを生んでいる最たる原因は大概宗教にあるし、それらは書物によって引き継がれている以上、書物の力を否定するつもりはない。人の人生を変えうる一番大きなきっかけを持っていると思う。まあ、オイラがこんな性格なのは読んだ本の影響であることを否定しないしな。
だからこそ、読んだ本の影響で引き起こされた惨事は、個人の責任に還元していくしかないと思うのだ。そもそも、バトロワ読んだ全員が人殺しにはならんように、カトリック教徒が全員ブッシュみたいな思想にならんだろと。
だから、もっと個人の責任に主軸をあてて論を展開してくれたほうが、分かりやすいのだが、そこで『キノの旅』やら『赤毛のアン』を出すと余計ややこしくなるっつーか、なんだかな、という気分になるんだよね。
で、メールの続き。

大塚英志は本格的に批評家としてモノを言う人になってきた。
昨今の文芸誌の退廃は、常々大塚英志が進言してきた「売れない雑誌を出し続けることは産業として問題だ」との意見には反発するくせに、実際にやっているのは金原ひとみ綿矢りさ等の「売れる」三文少女作家を送り出すことだったり、ラノベ畑の若手を持ち上げることだったりする。今の文芸誌ほど作家の「私」カミングアウトだらけになってしまった場所はない、と商業と質の両面を批判している。
そんでもって「私」カミングアウトというのは、これはネットを見れば大多数の人達が主にやっていることである。ネットの素人と同じことを文芸誌がやってどうするんだと大塚英志は叩く。
「『電車男』の作者は不明のままだが、高橋源一郎ではないらしい」と痛烈な皮肉も出た。
柳田国男が明治の自然主義文学を批判したスタンスに則して、今の文芸誌を批判している大塚は、近代的な批評を展開している。彼の「近代モデル」を手本にすべきだとの提言は、些かトルストイ的な啓蒙文学に陥る危うさもあるけど、まずはまっとうな提案でしょう。少なくとも石原慎太郎を持ち上げる福田和也舞城王太郎を不必要に持ち上げる批評家達より遥かに実のあることだ。

大塚英志は今の評論家のなかでは、トップランナーで戦闘能力もダントツ、非常に質が高く、正論で(年をとるごとにヘタレていった蓮實重彦渡部直己に比べると)柄谷行人と並んで最も将来性がある文化人なのだが、それらはあくまで社会学的な言説のみで、肝心な文芸批評をやると思い切りずっこけるのが何とも惜しいところです。
認識論がしっかりしていればいいんだが、そのへんの脇が甘いと言うか、今時、江藤淳はねーだろ、とも思うので、もうちっとこうなんとかならんかなーと思う。
ただし、この人が昔から言っている商業主義を捨てた文壇温存のための文芸誌などいらない、というのは半分正しいけど、これは非常に微妙な問題で、例えば、売れない作家はみんな死ね、って言ったら、村上春樹はいくらでものさばっていいけど、オイラの好きな河野多恵子とかは死滅しろ、って言うことにもなりかねん。

<参考過去記事>http://d.hatena.ne.jp/sutarin/20050109/1126789243

で、オイラは河野多恵子なんかは売れなくても、死滅してほしくないし、命かけて保護したいと思ってる。
だから、ひとくくりにした言い方は文学を知らない一般人に誤解を与えるから、やっぱり作家の質を問いただしていく、そうしたレベルの低い作家しか見出せない編集者の責任を問い詰める、つーのが一番正攻法なやり方だと思うわけ。つまりは駄目な作家を一人一人ぶったたく、論争する、というか。そうなったら、大塚英志蓮實重彦先生でさえなれなかった中村光夫の正当な後継者になってくれると思う。

高橋源一郎が「中村光夫の言っていることは正しいが夢が壊れる」と言っていたけど、文学幻想を壊しても、言わなくてはならないことがある。
だからこそ、大塚英志には早々に文学幻想を捨ててもらって、とっととデストロイヤーに化けてほしいな、と思うわけです。
デストロイ大塚の活躍を期待しているよ。そうしてぶったたいてくださいよ。