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サウスバウンド/奥田英朗

サウス・バウンド

サウス・バウンド

奥田英朗の2冊目となる読書。前回のレビューはこちら。
http://d.hatena.ne.jp/sutarin/20050000/1126789374

500P以上あったのだけれど、一気読みしました。
やめられないとまらない面白さとはまさにこのこと。腰巻に「面白い小説、ここにあります」と書いてあったけど、宣伝文句が嘘でないのは初めてなくらいです。
しかもこの面白さは前回同様、万人にすすめられるものだと思います。

しかもこの人は書けば書くほど「小説が上手くなっている」と思います。文章は巧みで読者の心をつかんで離しません。今回の本も、芸風である「一風変わったエキセントリックなキャラ」が登場しますが、精神科医・伊良部と比べても、今回の一郎父は、最初は単なる変わり者だったのが、話を追うごとにどんどん魅力的な人物になっていき、最後は真のヒーローとなっていく様は実に見事なものでした。

粗筋ですが、元・過激派で破天荒な父親(一郎)をもつ小学生の主人公(二郎)の視点を通して、第1部が東京中野を舞台にした青春小説といった趣で(青春小説と言っても、コイバナではない)、第2部は沖縄に移住した一家の家族小説といった感じでした。
第2部の前半、移住してしばらくの間が少し冗長でしたが、第1部の疾走感と面白さが異常であって、この程度の冗長さはぜんぜん耐えうるものですが。
第1部は実によくできていて、これだけで1本映画が撮れると本気で思いました。カツアゲ中学生と小学生の対決といった単純な話なのに、何故にこんなに面白いのだろう! 同時並行となる過激派の抗争話も面白かったし。一郎父がぶちぎれて「革命は運動では起きない。個人が心の中で起こすものだ」といったくだりは意見が一致しすぎて、妙に感動しました。
第2部では沖縄の風土描写に臨場感があってよかったです。島に来て、一つになっていく家族の姿や、ほのぼのとした島の暮らしも読んでいて楽しかったです。
そして、ホテル建設反対運動に巻き込まれ、奔走する主人公たちの物語が、ラストのアカハチ物語の朗読場面へつながっていき、一郎が英雄・アカハチへと重なっていく様は、まさに感動の大フィナーレでした。

こういう人が売れっ子と聞くと、日本文学は正常かつ健全な運営な気がします。
つか、この人だけかもしれませんが。

で、奥田氏がこの本の発売記念にYahoo!でインタビューされていて、その時に小説家の鑑たる発言をしていました。

――群れない一郎はかっこいいですけど、完全無欠のヒーローではない。群れる人も滑稽(こっけい)ではありますが、悪人としては描かれていない。小説のなかでは、誰の存在も否定されていません。

「 “登場人物を裁かない”というのがモットーで、自分に戒めているので。それぞれの主張に正しい部分とやましい部分があるし、すべては白と黒じゃなくてグレーゾーンにあるんですよ。システムのなかで飼いならされている人に腹が立つわけでもないし、自由に生きている人を賛美するつもりもありません。みんな曖昧さのなかに生きているんだから、断定的に書きたくないんです。
 裁かないという話につながることですけど、一番大事にしているのは自己懐疑でしょうね。自分はこう思うけど、もしかしたら違うかもしれない。万事疑ってかかるのが、小説を書く原点みたいなところがあります。 世の中を見ながら何か違和感をおぼえて、小説にするパターンが多いですね。たとえば、“黒木瞳って何だ!?”という違和感を持ったら、どういうこと考えてるんだろうなぁ、まわりは何をやってるんだろうなぁと想像して小説にするという(笑)。たまたま最近書いた伊良部シリーズの一篇で患者のモデルにしたから、今ポロッと言ってしまったんですけど 」

<略>

――別のインタビューで「説教してる小説、自分のことを書いている小説が嫌い」とおっしゃっていますね。

「そうです。“世の中に対してひとこと言ってやれ”という思いはないし、“現代社会を鋭くえぐる”みたいな気負いもないです。わかったようなことを言われるのが一番腹立たしいから、わかったようなことは書きたくないんですよ。
  “自分のことを書いている小説”というのは、作家が自分にうっとりしながら書いているような小説のこと。そういう小説が読みたいという需要もあるんでしょうけど、少なくとも僕の読者はそういう人じゃないと思っています。自分がそうじゃないから。“自分探し”じゃなくて、“仲間探し”をしながら書いているんです。小説を読んで、自分と似たようなことを感じてくれる人がいたらうれしいですね」

Yahoo!ブックス - インタビュー - 奥田英朗

小説を書く人のための心意気というか、理想が語られていますね。
しかし、こういうこと言えたり、分かちゃったりしているのは大衆文学者に多くて、純文学やっている奴って、勘違いしている人が多いから、言葉の真意を分かる人さえ少ないのでは、と思うのが現状です。
つか、今回の本は芥川賞レベルの文学性もあると思います。
文学が現実との拮抗で成り立つ以上、一郎は紛れもない小説的人物であり、彼の存在は作中で現実と拮抗し、それは小説というフィクションの枠組みを超え、リアルな人物像として読者に訴えかけてくる。正直、大衆文学でこれだけ上手にやられた以上、今の純文学は完全に負けていると思いました。
阿部和重を例にあげても、彼が一度でも「"真に"現実と対峙する小説」を描けたことがありますか? 彼の小説は常に「自分探しの言語ゲーム」の域を出ないでしょう! とそんな感慨を抱かずにはいられないわけです。



<複>奥田英朗『サウスバウンド』(単行本)★★★★1/2