松尾チルドレン
先日に続き、松尾関連。
本谷有希子って、この人の芝居を見たことはないけどね、小説に関しては恐ろしいほどの文才のなさをご披露している。
つか、文芸誌はいい加減こういうドシロートに書かせるのやめれ。やめないから、部数5000きって、直木賞にお株をとられる、一般大衆はますます純文学から離れていくんだよ。
「新潮」だかに載った『被害者の国』の抜粋読んだだけで分かった。「これは酷い」ということだけが。
「凡庸さを主張する」「人を寄せつけない空気を放つ、切れ長の一重瞼」「気持ちを見透かしたかのようなタイミングでそう声がし」
(゚Д゚)?
マニアの目をごまかせると思うな。
本読みの目をごまかせると思うな。
つかさ、『被害者の国』っていいタイトルだね。それって日本のことだし。
日本人は被害者意識の塊つか、被害者じゃなくても被害者のふりをする人がたくさんいる国だからね。
(今回も毒はきます。信者の皆様はたいさーん)
- 作者: 本谷有希子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/07/01
- メディア: 単行本
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少女は再び目を閉じ、両親がダンプに衝突した瞬間を可能な限り緻密に頭で再現しようと試みた。
ちょうどナンバープレートにぶち当たり、紙でもひねるみたいに簡単にひしゃげた母親の腰。そのまま空中へ弾き飛ばされ、ものすごい勢いで回転しながら弧を描き、頭から道路に衝突した母親の体。へし折れた拍子に肉と皮を突き破って飛び出し、肩に深々と刺さった首の骨。関節ではないところを曲げていた母親の手足の、それぞれのあり得ない角度。道路にみるみる広がっていった血液の生臭さ。タイヤに巻き込まれ、ぐしゃぐしゃに砕け散った父親の下半身。押し潰され、裂けた皮膚から絞り出される臓器。タイヤの下で道路にめり込みながら弾けた頭部。ばらまかれる脳漿。ボトボトと天から降り注いで来た血の雨。ぶち切られた血管の先にくっついていた眼球……
ぜんぶ体言止めww。おかげで腹筋が鍛えられた。
や、笑えることはスゴイんだけどさ、笑いが顔に張り付くというか。苦笑い…みたいな。
- 作者: 山田悠介
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2004/04
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あのな、日本語には体言止だけでなくいろんな表現があるんだが。吟遊詩人か、俳人か、歌人なのか、君らは。
つか、昔にオイラがいた文芸同人誌の投稿作品を思い出した。作者が女で若いとべた褒めする野郎がいた、同人に。
「彼女はなかなかスゴイ才能です」って。若い女じゃなくては絶対に誉めないアホ。お前みたいな野郎が文学を堕落させるのだ。
この人、今「はてな」の住人なのでこれ以上言わないけど。
Amazonの抜粋レビュアーさんも「今、これだけの描写ができる作家がどれだけ存在するだろう。この描写を味わうだけでも、この本を手にする意義がある。」と誉めているけど、何を持って誉めているのか。この人きっと村上ドラゴンの『コインロッカー・ベイビーズ(上) (講談社文庫)』とか篠原一『壊音 KAI‐ON (文春文庫)』とかバイブルにしてそうだな。プッ。だっせー
つか、本谷氏も別の意味ですごいと思うよ。全く小説を読んでいなそうなところが。
つか、山田くんは本当に読んでいないこと公言してるけどな。つか、そうだろうな。その文章で読者家だったら君のオツムを心配してしまうから。逆に安心した。
違う。オイラが言いたいのは…
こーゆートーシロに書ーかーせーるーなーーーー!
これは編集の責任だ。ヴィレヴァンとかABC(倒産したけど)にいる勘違いなオサレサブカル、「俺らトレンディー」と気取ってるパッパラパーな書店のせいだ。
文芸誌はな、同人誌と違うんだ。
つか、ヲタ同人誌のがレベルが高いわ! 何故なら、ヲタ同人誌のが商品価値がある。売れようと努力しているものだってたくさんある。エロばっかだけどな! オイラだってがんばってエロ漫画描いてるんだ。つか、好きで描いてるんだが…いや、違う。話がそれた。
こういう人には同人誌でも作らせて、コミケか文学フリマで自身に売らせれてみればいい。
そうすれば、どれだけの人が手に取り買ってくれるか分かるだろう。
その時に、作品の値打ちが分かるだろう。(でもネームバリューで買っちゃう読者もいるだろうから、ダメかな…)
勢いだけで文章作ってるとしか思えない。ちゃんと推敲しろ。他人が読める文章にしろ。
つか、この人、マジで舞台できるの? 脚本だいじょうぶか、と思うほど日本語がなっていないんだが。まず国語から勉強してください。頼みますよ。どっかの方言じゃないんだから。おかしいっつの。(松尾スズキ口調)
読み出して最初の2ページ目でまずショック、そしてまもなくまたショック。−−その衝撃を一言で言えば「お前、小説を馬鹿にするな!」
「手動でしかチャンネルを変えられない四本脚テレビにしろ、白いひっかき傷にまみれたちゃぶ台にしろ、桐ダンスの上に飾られた日本人形にしろじっと沈黙を守り、ここが田舎であるという力強い主張に徹していた。」
こんな「描写風のもの」が延々と続くのだ。「なんなんだこれは!小説は、−−下手なト書きや演出じゃないんだぞ」と怒りが込み上げ、正直、読むのが辛くなった。語りすぎて失敗している小説というのは多いが、これは語りすぎというレベルをはるかに超え、いらないものを強制してくる。
これに関してはオイラが言わなくても、三島由紀夫賞の選評で審査員の皆様がおっしゃっていましたよ。2からのコピペですが。
「新潮」に載ってた『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の選評
(福田和也)
「大いなる勘違いの作品が、どういう勘違いなのか候補作になった。
女優志望者の帰卿譚。文章の水準が極度に低い。
『そして、その日の夜』などと平気で書いてある。
無意味に長い描写、都合のよい展開。
陳腐きわまる登場人物のとその心情。
これが文芸誌に載ったことは、ある意味では記念すべきかもしれない」(高樹のぶ子)
「悲劇と悪意と暴力の重奏を聞かされた印象だが、終わりの方で力尽きている。終わる。終わる。終わる。…を半貢以上も書き連ねるとき疲れて踏ん張りが効かなくなった作者が透けて見えてしまう。乱暴なタイトルの意味も不明。」(島田雅彦)
「悪意に満ちていながら、そのセンセーショナリズムにまるでコトバが対応しておらず、小説の体裁が取り繕われただけのメモの段階にとどまっている。会話も弾んでないし、描写も凡庸。」
あますことなく木っ端微塵です。*1ここまで言わせることのほうが苦労しそうだ。
つかさ、福田和也にここまで言われるとは、ある意味勲章です。島田はオイラも選評してもらったことがあるが、むしろアドバイスしてくれたし、ペンネームを誉めてくれた。
文壇のウヨクからもサヨクからも見捨てられ、これからどこに行くんですか…
つか、文章テクニック云々なんて、これ言われたら、選評以前の問題なんだろうなぁ。編集者もちょっとは読むほうの身にもなって選考してやれ。どの審査員も思っているだろうが、お世話になっている手前、声を大にして言えないだろうから、オイラみたいな部外者が何度も繰り返し訴えてやる。
つか、こういう底辺みたいな作品がぽっとエントリーされるのって他ジャンルではありえないと思うのよ。純文学だけなのよ。こういう超常現象みたいなことが起こるのは。
直木賞にしろ、他エンタメ系でもないと思うんだよ。
いや、オイラは「ファウスト」一派みたいなラノベ族(滝本竜彦・佐藤友哉・西尾維新・舞城王太郎 など)を文学として擁護する気は(大塚英志と同じく)全くないけど、それでもあれらはエンタメつかティーンエイジャー向だし、という諦観で認めている。
だけどさ、最近の文芸誌がおかしいのは、大衆文学作家や直木賞作家に書かせるのであればまだ分かるのに、ラノベ族を引っ張ってきて書かせるっつーていたらくぶりなんです。彼らは絶対に大江健三郎や中上健次や河野多恵子や古井由吉と同列で語れないでしょうが。土俵が違うでしょう。
そもそもどうして本谷有希子は小説書いているんでしょうかねえ? 小遣い稼ぎかな。
書きたいことも、言いたいことも、何もないんじゃないだろうか。思うに、普通の家庭で普通の生活を送り、普通に育った人なんじゃないかな。そういう人は、そもそも文学という領域に近づかなかったはずなんだよ。
例えば彼女は学生時代にいじめにあっていたとしよう。
それが作品に色濃い影を落とし、こういう作品を書かせるとしよう。しかし、これではそうした経験を読者に鼻クソみたいになすりつけているだけなんですよ。それを小説とは呼ばないのですよ。島田が言うように、メモつーか垂れ流し、なんですよ。
文学というのは「内的必然性」に要請され初めて誕生するんです。それは過去の文学への挑戦なのです。同時に世間と自分とのたたかいなのです。
その要請がないまま、センセーショナルな題材を持ち出したって、それは文学にならない。文章の垂れ流しになるだけです。
だから、『コインロッカー・ベイビーズ』や『壊音』にセリーヌやジャン・ジュネのようなリアリズムや緊張感はない。あるのはぬるま湯のように安住した文章だけ。
つかなんで、オイラが年寄り評論家みたいなこといわにゃならんのだ。誰か言ったれよ。身近な人が。
『本谷さん最高です!!』
作家・演出家としては完璧な私!
今必要なのは「ラジオパーソナリティとしての高い評価」ということで、本谷有希子のこの9ヶ月間の成長ぶりを褒めて褒めて褒めちぎるメッセージを送ってください!
( ゚д゚)ポカーン
自画自賛したり、誉めてもらう前にすることあるでしょ。日本語の勉強と…か…
あのさ、この人のファンって兄ちゃんが多いんだろうけど、オイラは「若い女」だからって優しくしたりしない。彼女が年寄りなおばさんでもおっさんでも同じこと言うよ。
この人は知名度の割に露出が多いので、世渡り上手というか要領がいいのだろうな。つか松尾スズキの七光りみたいな。実力ではないことは確かだ。
「若い女に甘い日本」の体質を上手に利用していると思うよ。
師匠の弟子を見ると、師匠の実力も分かったりするわけだが、本谷氏は松尾スズキのよい鑑です。
だけど、ここでも山本直樹ですが…こういうレベルの本の装丁を引き受けるのはやめたほうがいいと思う。
――質問12. 先生の敬愛するマンガ家(もしくは作家・アーティスト)はいますか?
萩尾望都、大島弓子、竹宮恵子、大友克洋、吾妻ひでお。マンガ家以外だと、宮崎駿、唐十郎、大江健三郎、カート・ヴォネガット(Jr.)、フランクザッパ、内田百輭、安部公房、筒井康隆、赤瀬川原平、そんなとこかな。あと、最近だと松尾スズキ。
関係ないけど、このインタビュアーさんが取り巻きの人かなあ。
友達が山本直樹を見たときに取り巻きがいたのを目撃しているんだけど。
――でも、単に世間へのアンチテーゼってことではないような気がします。骨があるような。
柄谷行人(*8)の『探求1』には凄く影響受けています。その中でのヴィトゲンシュタイン(*9)についての解説は、すごくわかりやすかった。
――どういった解説なんですか?
彼がヴィトゲンシュタインの言ったことを解説しているんだけど、ひとはわかりあえないのが基本で、何かの間違いで、論理の中に、飛躍があって、それでコミュニケーションが起こると。
つか山本先生に言いたいのだが、柄谷行人とヴォネガットと大江健三郎が好きなら、『破壊』みたいな作品は2度と描かないと約束して欲しいのです。
この3人はあの作品を絶対に容認しないと思います。それだけは断言いたします。
何故なら、オイラもこの3人の著作を読んでいるし、彼らの姿勢にとても影響を受けたんです。この3人によって、松尾スズキのような作品はダメだと気づかせてもらえたって言っても過言ではないのです。
だから、筒井康隆が好きだというのは分かります。影響を感じます。シニカルでアイロニーなところとか…『破壊』って読後感の悪い筒井作品×100倍みたいな作品でしたし。でもね、同列で上記3人の名もあげるのであれば、これらは決して相容れないと思いませんか? 自己矛盾を孕みませんか? オイラだったら矛盾しすぎて発狂します。
ま、お友達だったりするようだし、柳美里の件とかもあるからいーのか…。山本直樹のこの辺の頓着のなさは室井佑月を絶賛しちゃったビートたけしみたい。
つか本谷有希子は柳美里の「2匹目の泥鰌」って風情だね。やや小物感があるけど。
何か、ここ数日猛烈な勢いでエントリーしてますけど、オイラ、ネタが尽きるとすぐにあぼーんするので、そろそろ冬眠するかも。疲れた…。つか、エロ漫画描かないと。いや描きたいので。
*2
*1:筒井康隆のコメントがないんだけど、ないということでいいのだろうか? ちょっと確認しときますわ。ソースも2だし
*2:コメント転載
# sankanrei 『どうもはじめまして。リアル鬼ごっこが気になったのでコメントを残してみたくなりました。ご一読いただければ幸いです。
リアル鬼ごっこを読んだとき、正直「なんだこりゃ!?時間損した」と思ったのですが、さすがに「なんか奥深いものが隠されているのだろう」と確信してなんとか読み終え、そのうちその隠されているのだろうことを考えてみようかと思っていたのですが、そうですか・・・やっぱりなんもないのですね。改めて「損した」と思いました。』 (2006/01/09 13:54)
# sutarin『コメントありがとうございます。口の悪いブログで申し訳ないっす。
件の『リアル鬼ごっこ』は元は自費出版なので、文芸誌発ではないから筋違いかな、とも思ったのですが。
>「なんか奥深いものが隠されているのだろう」
そう思って読んだ方は多い気がします。今の読者の方は作家に好意的で優しいので、出版側はそれに甘えてるように見えて仕方がないのです。しかし、それは読者を騙していることも同然で、いかがなものかといつも思っているので、こういう記事を書いてしまうんですよね。『リアル鬼ごっこ』はネタとして読んでみたいですね。
腹がよじれると思うので、別の意味で期待しています(笑)。