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コメントを書きこむ前に、こちらの記事に必ず目を通してください 「処刑宣告

浅田彰降臨の怪


オイラは無精者なので、マメにネット巡回と言うのをしないのだけれど、久しぶりに巡回していたら面白いネタを見つけた。
単純にミーハーと言ったらそれまでなんだけど。


要は4月の初旬に浅田彰が「はてなダイアリー」内において、次々降臨したという情報。
児童小銃さんのまとめ記事


「豚飼い玉子」さんのところのコメントに降臨の巻
「Pleasure :スプーン1匙ぶんの」さんのところのコメントに降臨の巻


これを読んだ時点で、これはもう浅田でしかないと思いました。
「本人確認したければメールして」という以前の問題以外に、メールするまでもなく、浅田彰の本を1冊以上読んでいて、彼の書いた文章をせいぜい10個も読んでいれば、これが紛れもなく本人の文章でしかないなんてことは分かるはずなんだけど…疑っている人が多いことに驚いた


これで確認メールを出した人ってのは、浅田彰の名前しか知らないってことでFAなのかなあ…。
そもそも本人が降臨したって、何も驚くような状況じゃないと思うんだけど、今の時代。全部のコメントが浅田かどうかはわかりかねる部分もあるのですが、「豚飼い玉子」さんと「Pleasure :スプーン1匙ぶんの」さんのところはこれはもう、本人でしかないのでは。


オイラの感じた本人特定の根拠は、

〓降臨している内容の記事がどれもこれも、本人じゃなければ到底気にしないような事柄で、さらに言うと浅田は情報伝達の齟齬や誤解にはすごく敏感であること
東浩紀をここまで(ある意味)客観的に分析できるのは浅田しかいない
〓最後に細かいことだけど、年代を80年代といわずに「1980年代」と表記する(そこにこだわりを見せる?)
〓騙りだったら、何のメリットがあってこんなことするんだろ…浅田本人でも、メリットがあるようには思えないか…(^^;)
といった点なんですけど、これだけ完璧に擬態することは他人には不可能なはずで、仮にそうだとしたら口述筆記しかないだろうな、くらいに本人だと思います。
第一、本人のメールアドレスを載せている時点で騙りだったらそうゆうことしない、といったネットの常識で考えても十分確証できる次元だよなあ、と思ったまでです。


だって、音楽に例えれば初めて聞いた曲でも、誰の曲かメロディーだけでわかることってあるじゃない。しかも、こうした著述業の人だったら、文体でわかってナンボの世界なんだから、それで浅田だなあ、と思ったら、それはもう本人だよ、というちょっと強引なまとめではありますが。


続・憂国呆談」の記事読んでも、はてな内のコメントはやっぱり本人だろうなあと思った。書いていることについても、すごくご最もだと思った。


普通、講演の記録を本人の許可なく掲載するっていうのは、いろいろと問題は発生するものです。
というのは、実体験から申しますと、著名人であればあるほど、記録を原稿にしたければ(それが利益を伴う如何に関わらず。マスコミ関係じゃなくても)マネージャーや本人とは名刺交換して、掲載したい原稿のゲラは必ず「エージェント」や「事務所」に通して、「OK」もらわなくてはいけないし、オフレコの話もするしで、そういうのはやっぱ守秘義務として、ネットに流す気さえ起こらない。


これはシンポジウムの記事らしいけど、それでもやっぱり、知識人・評論家・思想家はそれで食っているわけですから、発言一つでも、伝達が変わると、かなり変わってしまうことを最も危惧する人々なわけで、これは当然だろうと思うな。


掲載するな、というより、する以上は相手に敬意を払うのは最低限必要かなあ。
前書きや注釈に「孫聞き」「又聞き」「受け売り」は明記するのは必要かと。
「ウェッブでよく見られる情報のルースな取り扱いが問題なのである」と浅田が言ってるのも、責任の所在が曖昧になってしまうことへの苦言であるわけですから。


あと、東浩紀のヒステリー(というか、切れた)は実際に見たことあるから、多分、誹謗中傷ではなくて真実だと思う。(オイラが見たのはトークショーで客席の人が「東さんはオタク関係で相当もうかっているんでしょ」みたいなことを言ったら、「儲かってる? 印税1割で、稼げるはずないだろ」と突如怒り出したんですけど…)だからといって、全人格否定しているわけじゃないし、そういう点があるということについて、述べている印象しか受けないけど。


かなり昔だけど浅田彰に小説読んでもらってボロクソに批判されたこともあるから、こうした突き放し方は当然する人だと思います。


あの時に、浅田にあそこまで言われなけば、自分は今の自分とはまったく違う人間になっていただろうし。短いながらも考えさせられ、身の振り方変えるきっかけになるような鋭くも突き刺さるお言葉でした。それだけ、ご指摘が的確だったということです。