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オタクは本当に市場を制覇しているのか?


例えば、ちょっと前、野村総研がニュースにしていましたが(現在リンク不可)、何でもその記事によればオタク市場の規模は2600億円とのことで、メーカー産業を追い越す勢いだとかウンタラカンタラと報道されておりました。


別にこうした現象は今に始まったことではなく、去年の夏にも「東洋経済」で活況市場として紹介されており、昨今、つーか近年、何かとマスコミはオタク市場にスポットをあてたがっているように見受けられます。(「SPA!」とかも)
さらにとどめの、ベネチア・ビエンナーレ「OTAKU」展


何というか、嗚呼…まさにこれぞ「終わりの始まり」って感じでやだなー…と思って眺めているわけですが…。


そもそも、本当にオタク市場は盛り上がっているのか? 
それは果たして過去最大規模で膨れ上がっているのかどうか?


この問いに関しては、以前から懐疑的だったわけですが、漫画は90年代初頭に比べても確実に売れなくなっている。
ジャンプ神話が本当の神話になってしまったように、同人バブルが伝説として語り継がれているように、漫画が一つの社会現象を作り上げることがなくなってしまった昨今、どう見ても、こちらが「真実」であり、漫画は一部の人のものであって、それは10年前以上に、だと思うのですが違いますか。


例えば、Yahoo!にあるトーハン調べのブックランキングを見ていますと、総合ランキングに漫画は入っているところを見たことがありません。以前は、漫画を入れると総ナメになってしまうので、あえて除外して算出しているのかと思っていたのですが、どうやらそうではないらしい。


何故なら、オタクユーザーが多いはずのAmazon売り上げランキングを見ると、せいぜい100位中10冊程度しか漫画がなく、しかも一般漫画の割合が高い。オタク関連の書籍は健闘しているものの、小説、ムック、漫画を含めても全体の3割程度で、実用書やビジネス書、果ては小説といった一般書には遥かに負けている感が否めなかったわけです。(アダルトは除外しているので、含まれれば結構くるのではないかな、と思います。あと、累計では相当数でシェアを占めているとは思いますが)
で、かなり売れているというふれこみだった「もえたん」も、一般書のベストセラーに比べると、騒がれている割に売れてないじゃん…といった印象だったにも関わらず、「SPA!」で特集が組まれたり。


それと、気になっているのが最近バッタバッタとエロゲー誌やら美少女漫画誌(これは例の条例の余波でしょう)が休刊しているし、既に「終わりの始まり」は始まっているといった感じです。


実際、オタク関連の本というのは初版は瞬殺。予約段階ではAmazonのランキング上位に上ってくることも多いのですが、末永く愛され、読み継がれるといった現象は、現在ではほとんどなくなっている。(「月姫」とかは例外だろうが)
そういった一種、過熱集中型の売れ行きを見れば、「すげー売れてる」ように見えるのかもしれません。が、トータルだとそれほどではない、というのが実際のところではないのでしょうか。


要は、景気がよさそうなのはオタク市場くらいしかない、現在の行き詰った日本の経済事情を端的に示している現象なのかな…と思ったのですが、ここで、面白い仮説がでてきましたので、又聞きなのが惜しいのですが、ちょっと書いてみようと思います。


先日の日記の繋がりで、浅田彰柄谷行人大澤真幸岡崎乾二郎っつー、批評空間な面々が「文学界」で座談会をしており、そこで浅田が面白いことを言っているらしい。

現在は極端な「シニカルさ」と極端な「ナイーブさ」のどちらかしかなくなってしまった
アメリカやイラクの状況を肯定する連中は、シニカルに(またはアイロニカルに)現状にイエスと唱えてみせ、どっちつかずの曖昧な連中がナイーブないやしを求めている。
その両者を拒絶する人間は少数派だ。
で、以下の解説はオイラの友達です。
多分、前者というのが筒〇康隆一派な作家のことも指している。サブカルも含めて。彼らはいわばノンポリであり、中立を気取る。政治や社会情勢には触れることはしないが、議論する連中を白けながら眺め、嘲弄する心構えはいつでもある、という連中だ。
斜に構えて皮肉っぽいことを言っていればそれでよく、芸さえあれば生き残れる、と思っているのではないか。
後者は、例えば「セカチュー」とか「電車男」とか「Deep Love」のことじゃないのか。
さらに浅田は
現在オタクが幅をきかせているかのように見えるのは、今40代の連中がメディアで編集権を握るようになっているからに過ぎない。
友人の分析。
多分、これは大〇英志とかを指しているのだろうが、角川書店講談社のオタクシフトも編集者達がオタク第一世代にあたる、つまり新人類世代のことを言っているのだろう。
座談会で岡崎乾二郎が、
今の学生は「オタクが最先端だと思っていない」。20歳前後の若い奴らは、オタクが自分たちの代表面をしているのは不本意のようだ。
その後、岡崎は村上隆の悪口を言っているらしいが、村上隆はオタクにも受けていない(サブカルにしか受けていない)ので、この辺が第3者的意見になってしまっている。


オイラから言わせると、編集者がオタクだとは限らないし、またオタクだった編集者がディスクになっていることもわからない。ただ、大手出版社はライターや編プロなどに記事を任せることが多いので、その周辺にむしろ多いのではないか。しかし、編集権云々も怪しい。
つまり、オタク第一世代が編集者になったというより、今のマスコミ、産業の担い手が新人類世代であることは間違いないだろう。
しかし、活躍する同世代の大半が「シニカル」に走っている大〇英志は、政治的発言を積極的にしているので「シニカル」と言えないし、浅田いわくの「両方を拒絶する」少数派に含まれると思うのです…。いや、むしろ「いやし」系かも。


というわけで、現在を握っているのは40代、いわゆるバブル世代=新人類世代であり、つーか、そんなこといわれなくても分かっているし。でわ、オタクブームは40代の陰謀説ということでファイナルアンサー?
ただ、彼ら批評空間4人衆が目障りに感じているのは、オタクというより絶対に新人類世代であることは確かだな。
新人類世代というのは、相当に微妙な括りであって、一言で言えば、「消費するのはいいことだ、考えなくてもいいじゃない」=バブル世代と言い切ってしまえばいいと思うのです。団塊ジュニアのオイラとしては、こうした策動を見ると、新人類の方々はオタクもサブカルも現在の日本市場もすべて取り込む形で、今も経済大国な日本を信じ、成長神話を信じ、バブルの夢を見ているような気がするのです…。


それと、現在の状況分析は、当たっているな、と思います。つまり、現代は「シニカル」と「いやし」の両極端しかなくなってしまった、とは思うのです。
で、結局その両方を支配したがるのは新人類世代だ、と、そういうことを言いたいのではないかなと思いました。