BARBEEBOYS再考
- アーティスト: バービーボーイズ
- 出版社/メーカー: エピックレコードジャパン
- 発売日: 1992/10/01
- メディア: CD
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と言っても、先日、相米慎二の回でバービーボーイズについては冒頭で触れましたが、あれではただの山車。しかーし、あれは前振りに過ぎなかった!!
ちなみにここで彼らの音楽性やディスコグラフィーの詳細には触れません。そういった情報は、他の方がやっていますし、ここのギターがウンタラ…といったところで、文章では伝わりっこありません。
扱うのは、主に彼らの世界観です。そこにある「価値観」とも呼ぶべきものは、あの時代を象徴した価値観そのものだったとも思うからです。
「今も好き」というより、「懐かしい」と思うほうが強いのですが…。
出会ったのがちょうど、多感だったこともあって、当時は彼らの歌う世界は、それはもう刺激的でした。
まずは、歌のテーマですが、ほとんどが肉体関係を前提とした(あるいは馴れ合った)男女の駆け引きといったもので、金もあって、仕事もして、しっかり遊んで(あるいは恋人がいて)、これといって不自由のない生活を送っていそうな20代後半がモデルとして扱われることが多い。
主として歌われるのは、そうした男女の「恋愛」それ自体ではなく、「恋愛というポジティブな側面に潜む何か」であり、その「何か」というのは実のところ、「駆け引き」とか「打算」なのだけれど、それがあたかも「恋愛の真実」のように歌われるわけです。
しかし、そうした恋愛の側面は、あくまで「ネガ」な部分であり、他にも色々な側面があったりするわけです。つまり、物事には必ず2面性があって、「光」と「影」に分類されるとしたら、バービーボーイズは徹底して、恋愛の「ネガ」だけを扱っていたわけです。
じゃあ、恋愛の「ネガ」の部分は何かといえば、浮気、倦怠、喧嘩、別れの予感といったところでしょうか。
で、バービーボーイズの曲はすべてギターのいまみちともたか氏が書いていて(イマサの父親が有名な哲学者だという噂を聞いたのだが)、その歌詞世界はユーミンのような具体的な状況描写ではなく、過去の断片のような場所が提示され、掛け合いのようなセリフは、駆け引きが行われる。もしくは独り言だったり、あるいは両方とも心情を語っていたりすんですが、内容は大概、打算的なこと。
80年代バブルの頃は子供だったので、あまりよく覚えていないのだけれど、享楽的で楽観的な雰囲気があったように思う。しかし、心のどこかでは、「これが永遠に続くはずがない。しかし、続いて欲しいなあ」といった空気があった。
で、バービーボーイズというのは、そういう空気を既に読み取っていたのか、「オマイラ、幸せそうにしているけれど、本当のところどうよ? 実は、打算の上の関係じゃねーのか? でも、それがマジってことだよなあ」といったアンサーとして登場した。
享楽的な社会の中で、当時の「このままでいいのだろうか?」といった漠然とした不安を、恋愛の「ネガ」として表現したのが、バービーボーイズの圧倒的な「クールさ」だった。
だけど皮肉にも、今聞くと懐かしい反面、言いようもなく感傷的になってしまう。
バービーの歌っていた「恋愛のネガ」が90年代に入ってから「幸せな瞬間の何となく思うポーズ」ではなく、本当に「それだけ」になり、ネガの部分が拡大誇張され、それがリアルだと言われるようになってしまったからだと思う。
だからこそバブル崩壊後に、「80年代は何もなかった」と当時を一斉に反省し、批判するようになった言説が、90年代初めにキーワードのように扱われた。
そうして2000年に入って、80年代の文化を認めよう、あの時代はよかった、となっているのもどうかと思いますが。
とにかくバービーはいいよ。かっこいいよ。何というか、たまらないものがあるんだよね。
ええ、ええ、感傷的になるんです。とても。