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琴線に触れた人


同人活動を始め、サイト開設から、今まで一貫してひた隠しにしていた、その位、存在が大きく、宝物のように大事で、現漫画界最高の天才であると認めるほどに、思い入れのある漫画家さんがたった一人います。


本当に好きなものは一人だけで愛し続けたがるタイプなのですが。つーか、この漫画家さんを渾身かけて愛しているんだ、と喚いても、「へぇえ」とか「あ、そう」とか、意地悪な人だと「嘘つけ」とか言いそうなので、言わなかっただけであり。


しかしながら、やはりこの人の影響は計り知れず、「漫画のあり方」そのものの頭脳改革をされたので、これが最初で最後に、ちょっくら書いてみようかな、と思います。
深くは触れませんが。


さて、この漫画家さんは、くらもちふさこ先生言います。


少女漫画家の大御所・巨匠作家です。72年デビューだって…。
代表作は「いつもポケットにショパン」「いろはにこんぺいと」「東京のカサノヴァ」「キス・プラス・パイアール・ジジョウ」など多数ありますが、90年以降から現在に至るまでの「チープスリル」「天然コケッコー」「α」「おばけたんご」の奇跡とも呼ぶべき作品群に対する当方の思いいれは尋常じゃないです。
90年以降は優越付けがたいくらい好きなんですが、一つだけあげると「おばけたんご」の1作に尽きると思われます。


さて、自分をずっと、追っかけてくれている稀有な読者様だったら分かると思うのだが、オイラ(が割とまじめに描いた)漫画の構造が変わっていることにお気づきかと思われ。
で、そうした「構造の変革」を、一番うまくやったのがくらもち先生であり、じゃあ、どういう構造ですか、というと、例えば

・人称の変化(視点人物の切り替え)
・内面の表出が作品の佳境を形成する
・現実から内面へと入り込み、現実に抜ける(あるいはそのまま内面で終了)
・過去の空間との現実との反復

つーのが多い。何だか小難しく感じるかもしれませんが。読めばなんてことない手法です。


これらはラストの最後の盛り上がりでよく見られます。
そのせいか、くらもち作品のラストは最高に上手い。
上手い…なんて、そんな言葉で簡単に片付けられない。完璧というか、芸術というか。涙腺がゆるむというか、その涙腺が緩むのは感情移入ではなく、あまりに素晴らしい作品を見せてくれたことへの感動というか。


で、こういった漫画の構造改革とも言えることを、先駆的に効果的に、それをパターンとして取り入れ、作風として見事に昇華させた漫画家さんがくらもち先生なわけです。自分はこの人の漫画を読んではじめて「漫画の自由」を感じ、くらもち漫画の美学に惚れ込んでしまったわけです。


少女漫画の概念を超え、漫画という大衆文化を超え、普遍性を持った芸術まで完成させた、くらもち作品の偉業を称えよ。というか、昔からのファンが母親になった今でも追いかけている状態がままにあり、批評ともいえる評価は見たことがないので。


文芸批評家の皆さん、評論家という肩書きで飯食っている諸氏に言いたい。
現代思想と結びつけて風俗系純文学やサブカル漫画のわけわからん批評文を薀蓄たれて、書いてる暇があるなら、くらもち作品を分析して論じてください。そして、この方の持っている芸術に匹敵する普遍性を論理的に証明してください。


文才もなく、インテリ的知識も持ち合わせていないので、証明できないのですよ。でも、この素晴らしさを分かって欲しいのですよ。ううう。


…と、くらもちマニアの一部は歯軋りしている筈なので。


でも、漫画を抜本的に構造改革し、進化させたのは、少女漫画という「内面をシステム上必要とされた」ジャンルに特化した現象だったわけであり、その中で「内面の誕生は作品構造に影響を及ぼす」ことにおいて、誰よりも革新的で自覚的だった、くらもち先生の功績は偉大であり、その意味において、それらの発展に貢献した先代の少女漫画家たちの偉業は計り知れないと思います。